No.6
どこまでもともに
アルバートと、まだウィリアムになる前の少年の話。
家庭教師の講義を終えたアルバートは、こっそりと使用人フロアに上がった。この時間であれば、皆夕食の支度で忙しくしているだろうと考えたのだ。
目論見通り、使用人フロアには誰もいなかった。けれど、あのちいさな兄弟の部屋も空っぽだった。
どこに行ったのだろう、とアルバートは首をひねった。母は芝居を観に出掛けていたし、弟は課題を放り出していたためまだ家庭教師から解放されていない。彼らが余計な用事を言いつけたわけではないだろう。
屋敷の中をぐるりと回って、最後に訪れた裏庭の厩舎に彼はいた。
「あ、アルバート様……」
薄暗い厩舎の中で、彼は藁屑に塗れながら掃除をしていた。汚れた藁をかき集めるのに使う大きな熊手は、彼の背丈ほどもあった。そう広い厩舎ではないけれど、子供一人で掃除をするのはどれだけ骨が折れただろう。
アルバートに見つかったと気づいたとき、何故か彼はばつが悪そうに顔を伏せた。
「下男たちは?」
「えっと、今日は具合が悪いみたいで……」
「全員がかい?」
「…………」
「もしそうだとしても、君が一人でやらないといけない仕事じゃない。僕も手伝うよ」
「アルバート様!」
靴が汚れるのも構わず馬小屋に踏み込もうとすると、少年は戸口の前に立ち塞がって通せんぼをした。甲高い叫び声に驚いたのか、馬たちがぶるると鼻を鳴らした。
「大丈夫です。もうほとんど終わりましたから」
「朝からずっとやっていたのかい?」
「……僕、馬が好きなので、お世話ができて嬉しいんです。あとはこれを捨てるだけなので、アルバート様は待っていてください。あなたに手伝いをさせたと知られたら、後で僕が怒られてしまいます」
少年は汚れた藁とボロを積んだ荷車をふらふらと押していった。アルバートはその背中を見送りながら、彼らがここへ来てから何度目になるか分からないため息をついた。
掃除を終えた少年は、井戸で水をくんで手を洗った。白いハンカチを差し出しても遠慮するので、アルバートはやや強引に小さな手を取って水気を拭ってやった。
「そんな顔なさらないでください。誰かが必ずやらなければいけない仕事なのですから」
「僕たち家族は報酬を支払った上で、彼らを雇っているんだ。それが彼らの働きに見合うものであるかはともかく……その仕事を君に押し付けるのは間違ってる」
「……そうですね。でも一日くらいなら、見逃してあげてもいいでしょう?」
「そんなことを言っていたら……」
「いいんです。それに、馬が好きなのはほんとうですよ。アルバート様は、帯同馬ってご存知ですか?」
「え? いいや……なんだい、それは?」
はぐらかされていると分かっていたが、彼と議論をするのもお門違いだろう。アルバートは諦めて彼の話に付き合うことにした。
少年は、知らない事は「知らない」と正直に答えることができるアルバートがとても好きだった。下民だから、子供だからという理由で少年の話を聞こうともしない人間があまりに多かったからだ。
「競走馬がレースに出走するとき、厩舎から会場まで移動しなければならないでしょう? 会場がとても遠いところにある場合は、船や汽車に乗せられることもあります。馬は繊細な生き物だから、移動のストレスで具合を悪くしてしまったり、慣れない環境で寂しがったりするんです。そうならないように、仲のいい馬を一緒に連れていくんです」
「へぇ、その馬のことを『帯同馬』というんだね」
「はい。昨年、女王陛下主催のレースでフランスからヴァロンティンヌ号が招かれた時、初めて帯同馬を見ました。二頭がぴったり寄り添って馬運車から降りてきて、とてもかわいかったんです」
「それは見てみたかったな」
競馬は庶民の娯楽として人気が高かった。道楽として馬主になる貴族も多い。あまり競馬に興味がある方ではないアルバートでも、その馬の名前は知っていた。けれど、一緒にやってきた馬がいたという話を聞いたのは初めてだった。レースには直接関係がないことなので、新聞にも取り上げられなかったのだろう。
二頭の馬が暗い馬運車の中で、互いに慰めあい励ましあう姿を想像してみた。住み慣れた土地を離れるのは心細かっただろう。それが例えレースに出走するための一時的なものであったとしても、人間の事情など彼らには知る由もない。どこへ連れて行かれるのかもわからぬまま、彼らはお互いの存在だけを支えにじっと佇んでいるのだ。
弾んだ声で、少年は続けた。
「あのレースでヴァロンティンヌ号は一等だったんですよ。チケットが手に入らなかったので直接観戦することはできませんでしたが、新聞でその事を知ったときは嬉しかったです。名前も知らないあの帯同馬がいてくれたおかげだと思うんです。だから僕、馬って大好きで……」
「君にとっては、ルイスがそうなんだね」
「え?」
「どんな時も互いに支え合って、いつでも一緒……と聞くと、まるで君とルイスみたいだと思ったんだ。ルイスは、君にとっての帯同馬だ」
アルバートの言葉に少年は数回瞬きした後、ほんのりと頬を染めた。
「そうでした……。二人でフランスから来た馬を見に行った時、『かわいい』と言ったのは僕じゃなくてルイスでした」
少年は肩を落としながらそう白状した。
彼の弟は今、心臓の手術を受けるため入院生活を送っていた。きっと弟の話題をあえて避けようとしたのだろう。そのために無意識のうちに記憶をすり替えて、弟の感想を自分のもののように話してしまってた。彼にしては珍しく、年相応な子供らしさのように思えた。
「僕はそれまで、馬をかわいいだとか好きだとか、考えた事もなかったんです。ただ評判の馬がロンドンに来ると聞いて、ルイスが喜ぶかなと思って、見物に行こうと誘ったんです。馬が二頭降りてきて不思議がっているあの子に帯同馬のことを教えてあげると、『僕と兄さんみたいですね』って嬉しそうに笑ったんです」
アルバートの前ではいつも、ルイスは兄の後ろに隠れて硬い表情をしていた。仲の良い馬たちを見てはしゃぐ、子供らしく無邪気な彼の姿をまだ知らなかった。
「ルイスは、いつも僕に新しい驚きと発見をくれます。ルイスといると、世界の見え方が変わるんです」
「君にそうまで言わせるなんで、ルイスはすごいんだね。僕も彼とゆっくり話をしてみたくなったよ」
「! そう、そうなんです。ルイスはすごいんです」
少年は少しだけ声を上ずらせながら、勢いこんで言った。このことに関して、初めての理解者を得たとでも言うように。
「僕はルイスがいればどこにだって行けます。何だってできる……」
例えそれが腐臭漂う貧民街の路地裏でも。悪魔の棲まうつめたい屋敷でも。少年が言葉の続きを飲み込んだのが、アルバートにはわかった。
アルバートは目の前の小さな頭にそっと手を伸ばした。自分のものと違ってくせのない細い金糸が、指の間をするりと抜けた。
「あ、アルバート様?」
「あぁ、藁がついていたんだ。金髪に馴染んでいたから、すぐには気づかなかったよ。もう払ったから大丈夫だ」
「ありがとう、ございます……」
「今日は早く休むといい。明日は一緒にルイスのお見舞いに行こう」
アルバートのこの申し出に、少年はぱっと顔を明るくした。
屋敷からルイスのいる病院まで、少しばかり距離があった。面会時間いっぱいまで病室にいたために帰りが遅くなり、彼が夕食を食べそこねた事が何度かあったのをアルバートは知っている。辻馬車を拾おうにも、子供一人ではなかなか止まってもらえないそうだ。
その点、アルバートが一緒なら自家用の馬車を使うことができた。執事長から嫌味の一つももらうかもしれないが、彼は今日一日かけて厩舎の掃除をしたのだ。文句など言わせない。
「ありがとうございます。退屈しているだろうから、新しい本を持っていってあげないと」
そう感謝の言葉を述べながらも、彼の頭の中はすでに弟のことでいっぱいなようだった。今日はよく表情を変えるな、とアルバートは思った。
彼の弟に比べると表情豊かな方であると言えなくはなかったが、それは他者の視線を意識し計算されたポーズにすぎないと常日頃から感じていた。アルバート自身にも心当たりがあったから、よくわかった。
今の彼は良くも悪くも取り繕う余裕が無くなるほど、愛しい帯同馬の不在が堪えているようだった。
「そうだね。馬が出てくる物語はどうだろう。何があったかな……」
「東洋には、馬と結婚した女性の話があるそうですよ」
「馬と? その国では、馬との結婚が認められているのかい?」
「まさか。おとぎ話の類です」
「なんだ、そうなのか。生涯の伴侶にしたくなるほど、馬は魅力的な生き物……ということなのかな」
「きっとそうです」
二人はもう一度、顔を見合わせて笑いあった。
無事を祈ることしかできないのは苦しいけれど、アルバートの苦しみなど彼の比ではないのだろう。そのことに一抹の寂しさを覚えながらも、それでもルイスのために、彼のために祈らずにはいられなかった。
今はただ、ぴったりと寄り添って支え合う美しい兄弟の姿を、一番近くで見ていたいと思った。
アルバートは想像する。
異国からやってきた名馬を一目見ようと、街には大勢の見物人が押し寄せている。彼ら兄弟もその雑踏の中に混じっていた。はぐれないようにしっかりと手を繋いで、背伸びをしながら馬運車の扉が開くのを心待ちにしていた。今だけは厳しい生活のことも何もかも忘れて、そっくりな緋色の瞳を輝かせているのだ。
アルバートはただ眩しさに目を細めながら、彼らの後ろ姿を眺めている。僕も君たちの旅路に加えてほしい。そう望みを口にすることは、まだできそうになかった。
初出:Pixiv 2021.08.21
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アルバートと、まだウィリアムになる前の少年の話。
家庭教師の講義を終えたアルバートは、こっそりと使用人フロアに上がった。この時間であれば、皆夕食の支度で忙しくしているだろうと考えたのだ。
目論見通り、使用人フロアには誰もいなかった。けれど、あのちいさな兄弟の部屋も空っぽだった。
どこに行ったのだろう、とアルバートは首をひねった。母は芝居を観に出掛けていたし、弟は課題を放り出していたためまだ家庭教師から解放されていない。彼らが余計な用事を言いつけたわけではないだろう。
屋敷の中をぐるりと回って、最後に訪れた裏庭の厩舎に彼はいた。
「あ、アルバート様……」
薄暗い厩舎の中で、彼は藁屑に塗れながら掃除をしていた。汚れた藁をかき集めるのに使う大きな熊手は、彼の背丈ほどもあった。そう広い厩舎ではないけれど、子供一人で掃除をするのはどれだけ骨が折れただろう。
アルバートに見つかったと気づいたとき、何故か彼はばつが悪そうに顔を伏せた。
「下男たちは?」
「えっと、今日は具合が悪いみたいで……」
「全員がかい?」
「…………」
「もしそうだとしても、君が一人でやらないといけない仕事じゃない。僕も手伝うよ」
「アルバート様!」
靴が汚れるのも構わず馬小屋に踏み込もうとすると、少年は戸口の前に立ち塞がって通せんぼをした。甲高い叫び声に驚いたのか、馬たちがぶるると鼻を鳴らした。
「大丈夫です。もうほとんど終わりましたから」
「朝からずっとやっていたのかい?」
「……僕、馬が好きなので、お世話ができて嬉しいんです。あとはこれを捨てるだけなので、アルバート様は待っていてください。あなたに手伝いをさせたと知られたら、後で僕が怒られてしまいます」
少年は汚れた藁とボロを積んだ荷車をふらふらと押していった。アルバートはその背中を見送りながら、彼らがここへ来てから何度目になるか分からないため息をついた。
掃除を終えた少年は、井戸で水をくんで手を洗った。白いハンカチを差し出しても遠慮するので、アルバートはやや強引に小さな手を取って水気を拭ってやった。
「そんな顔なさらないでください。誰かが必ずやらなければいけない仕事なのですから」
「僕たち家族は報酬を支払った上で、彼らを雇っているんだ。それが彼らの働きに見合うものであるかはともかく……その仕事を君に押し付けるのは間違ってる」
「……そうですね。でも一日くらいなら、見逃してあげてもいいでしょう?」
「そんなことを言っていたら……」
「いいんです。それに、馬が好きなのはほんとうですよ。アルバート様は、帯同馬ってご存知ですか?」
「え? いいや……なんだい、それは?」
はぐらかされていると分かっていたが、彼と議論をするのもお門違いだろう。アルバートは諦めて彼の話に付き合うことにした。
少年は、知らない事は「知らない」と正直に答えることができるアルバートがとても好きだった。下民だから、子供だからという理由で少年の話を聞こうともしない人間があまりに多かったからだ。
「競走馬がレースに出走するとき、厩舎から会場まで移動しなければならないでしょう? 会場がとても遠いところにある場合は、船や汽車に乗せられることもあります。馬は繊細な生き物だから、移動のストレスで具合を悪くしてしまったり、慣れない環境で寂しがったりするんです。そうならないように、仲のいい馬を一緒に連れていくんです」
「へぇ、その馬のことを『帯同馬』というんだね」
「はい。昨年、女王陛下主催のレースでフランスからヴァロンティンヌ号が招かれた時、初めて帯同馬を見ました。二頭がぴったり寄り添って馬運車から降りてきて、とてもかわいかったんです」
「それは見てみたかったな」
競馬は庶民の娯楽として人気が高かった。道楽として馬主になる貴族も多い。あまり競馬に興味がある方ではないアルバートでも、その馬の名前は知っていた。けれど、一緒にやってきた馬がいたという話を聞いたのは初めてだった。レースには直接関係がないことなので、新聞にも取り上げられなかったのだろう。
二頭の馬が暗い馬運車の中で、互いに慰めあい励ましあう姿を想像してみた。住み慣れた土地を離れるのは心細かっただろう。それが例えレースに出走するための一時的なものであったとしても、人間の事情など彼らには知る由もない。どこへ連れて行かれるのかもわからぬまま、彼らはお互いの存在だけを支えにじっと佇んでいるのだ。
弾んだ声で、少年は続けた。
「あのレースでヴァロンティンヌ号は一等だったんですよ。チケットが手に入らなかったので直接観戦することはできませんでしたが、新聞でその事を知ったときは嬉しかったです。名前も知らないあの帯同馬がいてくれたおかげだと思うんです。だから僕、馬って大好きで……」
「君にとっては、ルイスがそうなんだね」
「え?」
「どんな時も互いに支え合って、いつでも一緒……と聞くと、まるで君とルイスみたいだと思ったんだ。ルイスは、君にとっての帯同馬だ」
アルバートの言葉に少年は数回瞬きした後、ほんのりと頬を染めた。
「そうでした……。二人でフランスから来た馬を見に行った時、『かわいい』と言ったのは僕じゃなくてルイスでした」
少年は肩を落としながらそう白状した。
彼の弟は今、心臓の手術を受けるため入院生活を送っていた。きっと弟の話題をあえて避けようとしたのだろう。そのために無意識のうちに記憶をすり替えて、弟の感想を自分のもののように話してしまってた。彼にしては珍しく、年相応な子供らしさのように思えた。
「僕はそれまで、馬をかわいいだとか好きだとか、考えた事もなかったんです。ただ評判の馬がロンドンに来ると聞いて、ルイスが喜ぶかなと思って、見物に行こうと誘ったんです。馬が二頭降りてきて不思議がっているあの子に帯同馬のことを教えてあげると、『僕と兄さんみたいですね』って嬉しそうに笑ったんです」
アルバートの前ではいつも、ルイスは兄の後ろに隠れて硬い表情をしていた。仲の良い馬たちを見てはしゃぐ、子供らしく無邪気な彼の姿をまだ知らなかった。
「ルイスは、いつも僕に新しい驚きと発見をくれます。ルイスといると、世界の見え方が変わるんです」
「君にそうまで言わせるなんで、ルイスはすごいんだね。僕も彼とゆっくり話をしてみたくなったよ」
「! そう、そうなんです。ルイスはすごいんです」
少年は少しだけ声を上ずらせながら、勢いこんで言った。このことに関して、初めての理解者を得たとでも言うように。
「僕はルイスがいればどこにだって行けます。何だってできる……」
例えそれが腐臭漂う貧民街の路地裏でも。悪魔の棲まうつめたい屋敷でも。少年が言葉の続きを飲み込んだのが、アルバートにはわかった。
アルバートは目の前の小さな頭にそっと手を伸ばした。自分のものと違ってくせのない細い金糸が、指の間をするりと抜けた。
「あ、アルバート様?」
「あぁ、藁がついていたんだ。金髪に馴染んでいたから、すぐには気づかなかったよ。もう払ったから大丈夫だ」
「ありがとう、ございます……」
「今日は早く休むといい。明日は一緒にルイスのお見舞いに行こう」
アルバートのこの申し出に、少年はぱっと顔を明るくした。
屋敷からルイスのいる病院まで、少しばかり距離があった。面会時間いっぱいまで病室にいたために帰りが遅くなり、彼が夕食を食べそこねた事が何度かあったのをアルバートは知っている。辻馬車を拾おうにも、子供一人ではなかなか止まってもらえないそうだ。
その点、アルバートが一緒なら自家用の馬車を使うことができた。執事長から嫌味の一つももらうかもしれないが、彼は今日一日かけて厩舎の掃除をしたのだ。文句など言わせない。
「ありがとうございます。退屈しているだろうから、新しい本を持っていってあげないと」
そう感謝の言葉を述べながらも、彼の頭の中はすでに弟のことでいっぱいなようだった。今日はよく表情を変えるな、とアルバートは思った。
彼の弟に比べると表情豊かな方であると言えなくはなかったが、それは他者の視線を意識し計算されたポーズにすぎないと常日頃から感じていた。アルバート自身にも心当たりがあったから、よくわかった。
今の彼は良くも悪くも取り繕う余裕が無くなるほど、愛しい帯同馬の不在が堪えているようだった。
「そうだね。馬が出てくる物語はどうだろう。何があったかな……」
「東洋には、馬と結婚した女性の話があるそうですよ」
「馬と? その国では、馬との結婚が認められているのかい?」
「まさか。おとぎ話の類です」
「なんだ、そうなのか。生涯の伴侶にしたくなるほど、馬は魅力的な生き物……ということなのかな」
「きっとそうです」
二人はもう一度、顔を見合わせて笑いあった。
無事を祈ることしかできないのは苦しいけれど、アルバートの苦しみなど彼の比ではないのだろう。そのことに一抹の寂しさを覚えながらも、それでもルイスのために、彼のために祈らずにはいられなかった。
今はただ、ぴったりと寄り添って支え合う美しい兄弟の姿を、一番近くで見ていたいと思った。
アルバートは想像する。
異国からやってきた名馬を一目見ようと、街には大勢の見物人が押し寄せている。彼ら兄弟もその雑踏の中に混じっていた。はぐれないようにしっかりと手を繋いで、背伸びをしながら馬運車の扉が開くのを心待ちにしていた。今だけは厳しい生活のことも何もかも忘れて、そっくりな緋色の瞳を輝かせているのだ。
アルバートはただ眩しさに目を細めながら、彼らの後ろ姿を眺めている。僕も君たちの旅路に加えてほしい。そう望みを口にすることは、まだできそうになかった。
初出:Pixiv 2021.08.21