No.51

宙の涯て
 軍に入る前に出会っていたマックスとカートの話。anan発売前に書きました。

 マックス・マカリスターの意識が覚醒した時、辺りは闇に包まれていた。
 ただ、完全な闇ではない。視界の端の方にうっすらとした白いモヤモヤが感知できる。靄がかかっているように見えた。
 もっと目を凝らそうとして、マックスははたと気づいた。
 瞬き、どうやるんだっけ?
 瞬きは眼球を守るための不随意運動であり、普通、人は数秒おきに瞬きをする。だが、今のマックスには自分が瞬きをしているのかどうか、そもそも目を開いているのかどうかさえ分からなかった。
 顔に手を伸ばそうとして、今度は自分の手がどこにあるのか分からないことに気がついた。身体がぴくりとも動かせない。
 マックスはパニックに襲われた。何故。どうして。自分は今どこにいる?
「あ、あ」
 辛うじて声が出たことに、一応は安堵した。
 が、すぐにその声もおかしいことに気がついた。何だか妙な、ノイズがかかっているように聞こえる。耳もおかしくなっているのか? だがそもそも、今の声はどこから発せられた?
 確かに自分の意思で発した声のはずなのに、口や喉が動いた感覚がなかった。
「あ、誰か……誰かいませんか! あ、何だこの声、気持ち悪い。俺の、俺の声? 身体が動かない。何、これどうなって、誰か……誰かいませんか、」
 助けを求めたくて声を上げると同時に、聞こえてくる自分の声に困惑した。声を上げれば上げるほど、かえって焦燥は募る。
 自分の声はこんなではなかったはずだ。こんな……こんな、スピーカーを通して聞こえてくるような声では。
「誰か……誰もいないんですか。返事して。変なんだって。全部、全部……何も見えない。何これ、どうなって、」
「おい」
 突然、すぐそばから低い声がして、マックスは慌てて口をつぐんだ。右側から聴こえた。距離もそう遠くない。だが、声のした方を見ようにも首が動かせなかった。
「大丈夫か?」
「あっ、え、誰? どこにいんの?」
「隣のベッド。気分悪いの?」
「え。いや、気分悪いっつーか、身体が何かおかしくて。さっきから全然動かせなくて、目も見えなくて。あ、声。声も変で……」
「落ち着けって。手術受けたばっかなんだから、しばらくは身体動かせねーよ」
「えっ」
 手術? もしかして、ここは病院とか?
 そのことに思い至って、マックスの中にいくらか冷静な思考が戻ってきた。
「……あ、そっか。俺、サイボーグ化手術受けて……」
「思い出した?」
「あ……うん。ごめん。寝ぼけて、た」
「無理ないべ。身体、総取り換えしたんだから」
 サイボーグ化手術。過酷な宇宙環境に適応するために、人類が編み出した手段のうちの一つ。脳以外のほぼ全てのパーツを機械部品に置き換える離れ業。
 思い出してしまえば何と言うことはない。新しい神経回路が身体に馴染むまではほとんど動けないだろうと医者から事前の説明を受けていた。目も耳も声帯も、すべて機械に取り換えたのだ。
「マジで気分悪いとか、どっか痛いとかないの? 俺、今ナースコールなら押せるけど」
「あ……いや、大丈夫。ありがとう。騒いでごめん」
 マックスは声の主に礼を言った。姿の見えない相手と話をするのは不思議な気分だ。
 マックスは星立軍に入隊することと引き換えにサイボーグ化手術を受けた。ということは、隣の彼は同期入隊の仲間ということだろうか。
 自分の置かれた状況を理解できていくらか気分が落ち着くと、今度は幾ばくかの好奇心が顔を出した。
「あのさ、君、目見えてるの? 俺の顔どうなってるか、わかる?」
「あー、ごめん。分からん」
「あ……そっか。ごめん」
「いや今電気消えてるから。気になるなら明日見るよ」
「マジ? ありがとう。てか電気消えてるの? 何で?」
「消灯時間過ぎてるから」
「え、うわそうなの。俺が起こしちゃった感じか。マジごめん」
「俺はいーよ。でも他のやつらは多分まだ寝てっから」
「そっか……分かった。教えてくれてありがと」
「どーいたしまして」
「じゃ……えーっと、おやすみ」
「うん。おやすみ」
 それきり声は聞こえなくなった。
 眠ったのだろうか? 寝息……のようなものは聞こえない。そもそも機械化した身体は寝息を立てるものなのだろうか。
 身体は相変わらずピクリとも動かせなくて、不安は完全には拭いきれなかった。だが同じ境遇の誰かが隣に寝ていると思うといくらか気が楽になったのも確かだ。
 明日起きたら、彼に改めてお礼を言おう。
 そう心に決めて、マックスは眠りに身を任せた。





「うわ、俺マジでこんな顔なんだ……」
 数日後、手鏡を覗き込みながらマックスは愕然として呟いた。
「だから言っただろ」
 隣のベッドの住人が、どこか呆れたように鼻を鳴らす。
 カート・クレイマー。マックスと同じ日にサイボーグ化手術を受けたうちの一人だった。機械化した身体を順調に動かせるようになれば、彼とは晴れてバルナディア合星連邦星立軍、同期入隊の間柄になれるわけだ。
 軍管轄の医療施設には、二人の他にもサイボーグ化手術を受けたばかりの新兵候補生がひしめいている。約半年に渡るリハビリ期間が、自分たちに残された最後のモラトリアムだった。
 顔面のパーツを丸々入れ替えたマックスは、視神経が機能し始めるまで少し時間がかかった。この数日、マックスの代わりに、隣の彼がサイボーグ化したマックスの外見について教えてくれていたのだ。
 黒いディスプレイに黄色い点が二つ。
 彼からの説明はそれだけだった。いくらなんでも簡潔に表現し過ぎだろう、もっと詳しく教えてくれ、と彼に散々せがんだのだが……
「こんな似顔絵描きやすそうな顔になってると思ってなかった……カートくんの表現力が乏しいだけかと……」
「他に言いようねぇし」
「うん。これは確かに、そう言うしかないかも」
「てか何で今さら驚いてんの。同意書にサインしたんだろ?」
「うーん、まぁ。……そうなんだけど」
 スピーカーの奥でごにょごにょとつぶやいた。
 実を言うと、マックスは自分の手で同意書にサインをしていない。
 事故だった。
 居住エリアの設備の老朽化が原因で可燃性のガスが漏れて、引火して、不運にも爆発に巻き込まれた中の一人がマックスだった。体の半分が吹っ飛んで、何とか一命は取り留めたものの「一生ベッドから起き上がれないだろう」と医者から宣告された。
 両親はずいぶん前に死んでいたから、マックスは叔母の世話になっていた。だがもちろん、再起不能になった甥を養い続けるだけの経済力は、彼女にはなかった。
 軍に入り、サイボーグ化手術を受けること。 それが、マックスが生きるために残された最後の道だった。
『これはあなたの為だから』
『yesなら、私の腕を二回叩いて』
 耳元で叔母の声がした。
 目も喉も爆風でやられていて、マックスが辛うじて動かせるのは右手の先だけだった。
 選択の余地はなかった。かくして、マックスは叔母の腕を二回叩き、特例措置が適用され、速やかに軍の医療施設に移送された。
 当然、サイボーグ化した後に自分の顔かたちがどうなっているかを事前に把握するだけの余裕はなかったわけなのだが、その経緯を出会って数日の隣人に打ち明けるのは躊躇われた。さすがに重すぎる。
「……そう言うカートは、顔、残したんだね」
「ん。まぁ」
「残したくなるのも分かるよ。イケメンじゃん」
「うるさい」
 せっかく褒めているのに、彼は居心地悪そうに顔を顰める。顔を無機質なディスプレイに取り換えたばかりのマックス相手では仕方ないか。
 マックスは改めて、カートの顔を眺めた。
 彼の顔の上半分は、人間だった頃のかたちが残されていた。三白眼と垂れ下がった眉は不機嫌そうに見えなくもないが、顔の造作は悪くない。そう気難しい相手ではないことはこの数日間に交わした会話からすで知っている。
「皮膚とか本物なの?」
「いや、ほんとに見た目だけ。元の肌色に寄せてるだけの人工皮膚」
「へー。髪は? そのうち生えてくんの?」
 彼の頭を覆っているのは、顔とひと続きのつるりとした皮膚だけだった。
「新陳代謝しないからもう生えねぇよ。金ができたら植えるつもり」
「へー、いいじゃん」
「お前は植えねぇの?」
「え? んー」
 マックスはもう一度、手鏡を覗き込んだ。つるりとした金属の頭にカツラを乗せる要領で、髪を生やした自分の姿をイメージしてみる。
「この顔で髪生やしてんの、ちょっと気味悪くない?」
 カートが軽く目を瞠ったので、マックスは自分の失言に気がついた。
「……ごめん、自分で言ってて卑屈すぎたわ」
「うん。ビビった」
「そのうち慣れるよね」
 そう呟いてみたけれど、今日からこれが自分の顔と言われてもいまいち実感が湧かない。朝起きて顔を洗おうとする度、鏡を見てギョッとしてしまいそうだ。
 ……いや、もう顔を洗う必要もないのか。
「目見えるようになったんだから、廊下歩いてみて来いよ。髪生やしてるやつ結構いるべ」
「そっか……うん。そうする」
「お前と同じ点二つのディスプレイのやつもちらほら見かけた。間違えそうだから髪生やしとけよ」
「は、何それ目印ってこと? めっちゃイケてる髪型にしてやるわ」
「軍規の範囲内でな」
「あーそっか。そういうのあんだっけ」
 それから二人で、ベッドに横になったまま理想の髪型についてあれやこれやと話をした。スクールで気の置けない友人たちとくだらない雑談をしているような感覚だった。
 機械化したばかりのサイボーグたちがひしめく室内には消毒液とオイルが混ざったような匂いが充満している。この匂いも自分の鼻で感じているわけではないのだと考えると、何だか不思議な気分だった。





 それからさらに数日。 ベッドから身体を起こして自力で用を足しに行ける程度には機械の身体にも馴染んできた。
 その日は週に何度かある検査の日だった。同時期にサイボーグ化した者たちが朝から順番に呼び出され、身体中の点検と各種測定を受ける。
 昼過ぎにようやく解放されたマックスは、歩行器に頼りながら自分の病室へと帰った。
 病室には八台のベッドが並んでいるが、そのうちの半分以上が空だった。隣のカートもまだ検査から戻っていないようだ。
 自分のベッドに戻ると、サイドボードに見慣れないものが置いてあった。小さな段ボール箱だ。貼り付けられた伝票を見るに、叔母から送られてきた荷物のようだった。
 開けてみると、マックスの私物が詰め込まれていた。
 充電切れのピコポにポラロイドカメラ、読みかけのペーパーバック、ソフビの怪獣。自室の机の上に置いていたものをとりあえず詰め込みました、という感じの雑多なラインナップだった。
 使いかけのヘアワックスまで入っていた。サイボーグ化した甥っ子に送るか普通? カートと髪を植える約束をしていなかったらゴミ箱に投げ捨てていたところだった。
 ワックスをしまい直して箱を物色していると、底の方からゲーム機が出てきた。
「お、やった」
 モノクロ画面で縦型の、古い携帯ゲーム機だ。
 ソフトをしまっていたプラスチックケースが見当たらないのは残念だったが、本体に挿しっぱなしの一本があれば当面の退屈しのぎにはなるだろう。
 電源ボタンを押して起動すると、8bitのメロディとともにタイトル画面が表示される。運のいいことに、買ったきりほとんどプレイしていなかったゲームだった。
 両手を開いたり閉じたりして機械仕掛けの指先の感覚を確かめてから、マックスは「はじめから」を選択した。

 しばらくゲームで遊んでいると、歩行器をガラガラ鳴らしながら、カートが検査から戻ってきた。
「お疲れー」
 画面から目を上げずに声をかける。彼はぼすりと隣のベッドに突っ伏した。
「……マジ疲れた。身体の中ガチャガチャされるの、いつまで経っても慣れる気しねぇわ」
「わかる。そこ外れんの!?ってとこ外されて毎回ビビるよね」
「ほんとそれ」
 カートがごろりと寝返りを打って、こちらを向いた気配がした。
「何やってんの?」
「ゲーム」
「持ち込み?」
「ん」
「いいんだ、そういうの」
「いんじゃね? さっき看護師通ったけど何も言われなかったよ」
「へー」
「娯楽室にもジェンガとかスーファミ置いてたし、リハビリ中はむしろ推奨されてるんじゃないかな。身体動くようになったら外でサッカーとかテニスやれって言われたし」
「あ、それ俺も言われた。あのコート俺らが使っていいんだな」
「ねー。テニスはネット挟んでるからまだいいけどさ、サッカーは人とぶつかったりしたら怖いよね」
「それも含めて慣れろってことだろ」
「そうだけど。俺のフレーム軽いから、カートみたいなイカツイのとボール取りあったら吹っ飛ばされそう」
「はは」
「否定してよ」
「お前の、宇宙軍仕様だっけ」
「そ。馬力や耐久性よりも演算処理能力優先」
「かっけえじゃん。オペレーション系の部門てさ、適性検査で地頭いいって判定されたやつが選ばれるんだろ?」
「え、……うーん、そうなんかね」
 やば。何それ俺そんなの受けてないんだけど。
 人数合わせで振り分けられたのかな。ただでさえ軍隊なんて気乗りしないのに、いざ配属されたら周りについていけなくて落ちこぼれたりしたらどうしよ。
 動揺は指さばきへ如実に現れて、マックスが操作していたキャラクターはあっけなく死を迎える。
「あ、ミスった。ゲームオーバー」
 誤魔化すように呟くと、隣のベッドに寝そべっていたカートがのそりと身を起こしてこちらに寄ってきた。
「カートもやる?」
「んー、いい。まだ感覚掴めてないから、握りつぶしそうで怖い」
 カートが手を閉じたり開いたりするたび、小さな駆動音が鳴る。
 確かに、マックスの手と違ってかなり無骨な作りだ。指先に力を込めるだけで、プラスチックでできた年代物の玩具など容易く破壊できるだろう。
「それも含めて慣れないと。ほら」
「えー」
「やってみなって」
「……壊しても弁償しねぇからな」
 しぶしぶ、と言ったテイで、カートはゲーム機を受け取った。恐る恐る決定ボタンを押すと、すぐさまゲームが再開される。
「これ何するゲーム?」
「ほら、この、真ん中の子。これが主人公。障害物とか敵を避けながら右に進んでくの。ジャンプは……」
 単純な2Dアクションゲームだ。ひと通りの操作方法を教えてやると、カートが訊ねた。
「右側に何があんの?」
「ん? ゴール」
「いやそうじゃなくて……こいつはどこ目指してんの?」
 こいつ、というのは画面の中で跳ね回っているドット絵の少年のことだろう。
「えーとね、この子、家族旅行の最中にギャングに攫われちゃったの。で、何とかギャングのアジトから抜け出して、追っ手をかわしながら家族のもとへ帰ろう!ってゲームだよ」
「……思ったよりハードな話だったわ」
「でしょ」
 ぎこちない動作で、カートはプレイを開始した。
 シンプルなドットで描かれた少年が左右にぴょこぴょこ跳ねる。ゲーム自体の難易度はそう高くないものの、握力に注意を払いながらとなると中々思うように操作できないらしい。
 カートの操る少年は度々敵にぶつかったり段差に落ちたりしてライフを減らしていった。だがそれも含めて、小さな画面を二人で覗き込みながらステージを攻略するのは楽しかった。
 誰かと一緒にゲームやるの初めてかも、とマックスはふと気がついた。

初出:Pixiv 2025.11.11

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