No.49
Swampman
防衛サービスに入る前、清掃や飲食のお仕事をしていた頃のカートとマックスの話。
その日のシフトを終えて、カート・クレイマーは重たいため息をついた。
ところどころが凹んだ鉄製のドアが、背後で大きな音を立てて閉まる。路地裏に面した排気ダクトが吐き出す生ぬるい空気は、そう有害なものではないだろうが何となく吸うのを躊躇われ、足早にその場を立ち去った。
清掃の仕事は危険がない分、夜を徹して働いて得られる達成感はそう高くない。数時間後には、また同じだけのゴミが排出され、汚れが溜まるのだから。
軍で過ごした日々に比べれば何ということはない。だが単調な仕事と代わり映えのしない毎日は、カートの心をじわじわと倦ませていく。
マネーカードに後日振り込まれるであろう金額を頭の中で計算してみた。大部分を機械化したこの身体では避けて通れぬメンテナンス費用と、離れて暮らす妹の学費も。
今日は規定の勤務時間をややオーバーしたが、その分の手当はおそらくつかないだろう。
この仕事は、底辺労働者がありつけるものの中では比較的『割がいい』部類に入る。雇い主に異議を唱えようものなら直ちに首をすげ替えられることは目に見えていた。
ごみごみとした路地を抜けて表通りに出ると、すでに車がジェット音を立てながら行き交っている。街はこれから活動を開始しようという時間帯だった。
太陽系から外れたこの星に夜明けという概念はない。標準サイクルの基準となる衛星があるにはあるが、けばけばしいネオンライトに阻まれて、地上から肉眼で観測する事は出来なかった。
このまままっすぐ帰宅してもよかったが、カートの足は帰り道から少し外れたところにあるダイナーへ向いていた。
朝食と昼食の間の時間帯にある店内には、どこか気の抜けた空気が漂っている。カウンターの向こうでブラウン管テレビを眺めていた店員が、カートの姿を認めて片手を上げた。
「お、いらっしゃいませー」
マックス・マカリスターだった。
顔面のディスプレイから表情は推し量れないが、おそらくは友人の来店に相好を崩しているのだろう。お仕着せと思しき縞模様のエプロンは、正直あまり似合っていない。
カートは彼に頷き返して、壁際の小さなテーブル席に腰掛けた。
「仕事終わったとこ?」
「おう」
「お疲れ。何にする?」
雑にラミネートされたメニュー表が差し出された。
カートは習慣的にメニュー表を裏返し、右下の辺りを見る。食べられるものが限られているサイボーグ用のメニューは、たいてい一番後ろにまとめられているのだ。
その短いリストにざっと目を通して、一番安い吸引食を注文した。
「そんだけでいいの? 仕事上がりでしょ」
「今日はもう帰って寝るだけだし」
「そう?」
そんなやりとりをしつつ、カートはテーブルの下の充電ポートに手を伸ばした。
本来は客が通信端末なんかを充電するためのものでしかないが、この席のポートだけ、マックスによる改造が施されてサイボーグの給電にも対応していた。もちろん、この店の支配人には無断である。
「オーダー」
向こうのテーブル席に座っていた強化人間の客が片手を上げながら言った。マックスが「はいはい」と返事をしながらそちらへ向かう。
「ご注文どうぞー」
「ハンバーガー2、コーラ1、アイスティー1。以上」
「アイスティーに、ミルクとシロップつけますか?」
「不要」
「はい、ご注文繰り返します。……」
二人連れの強化人間は、マックスの方をちらりとも見ない。単語だけを並べた簡潔すぎる注文の仕方は、完全に給仕ボットに対する態度だった。
無意識のうちに、カートはテーブルの下で貧乏揺すりを始めていた。
運ばれてきた吸引食を流し込んでいると、今度は何かが床に落ちる耳障りな音が店内に響いた。
音のした方に目を向けると、どうやら客の一人が水の入ったコップを落としてしまったらしかった。
幸い、カップは安っぽいプラスチック製だったから割れるようなことはなかったようだ。色褪せたオレンジ色のタイルの隙間を、水が十字に這っていく。
すぐさま店員(マックスと同じエプロンを身に着けた、強化人間だ)が駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「あー、やっちゃった。ごめんなさい」
「代わりのお水、お持ちしますね」
「ええ。ありがとう」
強化人間の店員が新しいコップを取りに行くのと入れ違いに、カウンターからマックスが出てきた。彼は床に転がったコップを拾い、持ってきたモップで濡れた床を拭う。
カートはその様子をじっと見つめていた。だが、コップを落とした客も、代わりの水を持ってきた同僚も、マックスに声をかけることはない。
頭の中で、給電完了を告げる電子音が鳴った。
「アイツ、なんか睨んできてない?」
「放っとけよ。ああいうデザインなんだろ」
テーブル席の客たちが、ちらちらとこちらを見やりながら忍び笑いを漏らす。その声は店内のざわめきの中でもはっきりと聞き取ることができた。
床を拭っている間、マックスは一度もこちらを見なかった。
*
そこから先の記憶は曖昧だった。
意識的に感情をシャットダウンして足早に歩くうちに、カートはいつの間にか自宅である安アパートまで帰り着いていた。
雨ざらしの外階段を登り、三階の自室を目指す。途中の廊下に空の段ボールが放置されていたから、力任せに蹴飛ばした。大きく凹んだ段ボールは廊下の反対側まできれいに吹っ飛んでいったけれど、物に当たったところで気が晴れることもなかった。
片付けた方がいいだろうか、という考えがちらりと頭を過ったが、すぐにそれを打ち消す。
あの段ボールを捨てたのは自分ではない。自分には関係ない。掃除は勤務時間中だけでたくさんだ。
カートは部屋に戻って、シャワーを浴びた。
冷たい水を頭から浴びながら、自分の仕事について考えていた。
カートは現在、軍を退役して清掃業者として働いている。雇い主の指示により区内のあらゆる場所に派遣され、あとはひたすら掃除をする。派遣先は閉店後の商業施設であったり、病院であったり、オフィスビルであったりと様々だ。
命の危険こそないものの、どんな場所に派遣されてもカートの扱いは変わらない。
通行人たちはちょうどいいと言わんばかりにカートの前にゴミを投げ捨てていったし、同僚たちは一番汚い仕事をカートに押し付けることに何の躊躇いもなかった。
機械の手足を持ったカートには、汚物に触れる嫌悪感もないだろうと考えているようだった。
実際には、機械の手であろうと汚いものに触れるのは嫌だし、空気の悪い場所で長時間作業していると気分が悪くなってくる。強化人間より多少の無理はきくかもしれないが、それだけだ。
そのことを理解されないことが、無視して素通りされることが、どうしようもなく虚しかった。
雑に体を拭いて、服を着替える。身綺麗になっていくらか気分はさっぱりしたが、もやもやとした気持ちは晴れない。
思い出すのは、自分と同じように窮屈そうに働くマックスの姿だった。
マックスはいい奴だ。
軍にいた頃から仕事の腕は確かだったし、人あたりがよくて、前線に出て気分が荒むことの多いカートにも気さくに接してくれる唯一の相手だった。
退屈な歩哨任務のかたわら、二人でくだらない話をして明かした夜が数え切れないほどあった。
そんな彼がロボット扱いされているところなど、見たくなかった。もし立場が逆だったとしても、カートも彼にそんなところは見られたくなかった。
ありがとう。ごめんなさい。
その言葉をもらう権利が、マックスにだってあるはずだった。
髪をきっちり乾かしてから、カートは部屋の隅に放置された雑多な紙類の山からサイボーグ用のパーツカタログを引っ張り出した。ずいぶん前にメンテナンス業者から押し付けられたものだ。
無骨な指先で苦労してページを繰り、頭部のパーツ――アニマトロニス製品のページを開いた。
「たっ……けぇ」
思わず声を漏らしていた。
カートの顔の上半分は自前の有機組織であったから、表情ディスプレイにも感情再現プログラムにも用がなかった。高級なものであるということは何となく知っていたが、実際にカタログで金額を目にすると軽く途方に暮れた。
脳波から本人の感情を読み取り、表情としてリアルタイムに出力し続ける装置なのだ。想像もつかないほど高度な技術が用いられているのだろう。
微細な感情の機微を再現できるモデルはさらに価格が跳ね上がる。
ごく普通の飲食店で働くマックスの稼ぎは、カートのとそう変わらないはずだ。これだけの金額を用意しようとすると、一体何年かかるのだろう。
星系外の鉱石採掘施設で数十年単位の労働契約を結ぶとか、そういう手段を取らない限り到底稼ぎきれないのではないか。
――あるいは、もっと非合法な手段か。
そんな考えがちらりと頭を過って、カートはカタログを閉じた。
夜勤明けで疲れているのだ。
一旦はそう結論づけて、ベッドに潜り込んだ。スリープモードへ移行すると、カードの意識は速やかに閉じていく。
*
ピンポン、と間の抜けたチャイムの音がして、カートは眠りの淵から呼び戻された。
時刻を確認すると、半日近く眠っていたようだった。次のシフトにはまだ余裕がある。のそのそと身体を起こす間も、チャイムは連打され続けていた。
「うるせぇ」
ドアを開けながら低く唸った。この部屋を訪ねてくる相手など、一人しかいない。
部屋の前にマックスが立っていた。
いつもの、明るい色のジャケット姿だ。時間帯からして、仕事場から帰る途中に立ち寄ったのだろう。
「おはよー。来ちゃった」
「おはようって時間でもねぇだろ」
「上がっていい? お土産あるから」
カートが何も言わず身体を引くと、マックスも勝手知ってる様子で入ってきた。スプリングの壊れたソファに遠慮なく腰を下ろす。
「使用期限近づいて廃棄予定だったからさ。カートくんと一緒に食べようと思って」
そう言いながらマックスがポケットから取り出したのは、サイボーグ用の吸引式ケーキだった。そっけないパッケージに「クリーム・ケーキ」「チョコレート・ケーキ」と印字されている。
カートは内心、少しだけ呆れていた。
彼の勤める店で提供されているものであることは間違いないのだろうが、粉末やペースト状に加工されたサイボーグ用の吸引食は、強化人間たちの食事と違ってかなり日持ちする。
このケーキたちが使用期限を迎えるまで売れ残っていたとは考えにくかった。
大方、保管記録に手を加えたのだろう。こういう小細工をさせれば彼の右に出る者はそうそういない。
「どっちがいい?」
吸引式ケーキのパッケージを差し出しながら、マックスがこちらを見あげている。
フェイス・ディスプレイに浮かんだ二つの黄色い点から表情は読み取れない。だが、得意げな笑みを浮かべていることは分かりきっていた。
「……チョコ」
茶色い方のパッケージに手を伸ばすと、マックスがくつくつと肩を揺らした。
「カートって、クリームとチョコなら絶対チョコだし、メロンとイチゴなら絶対イチゴ選ぶよね」
「……うるせ」
反論できなくて、カートはしかめ面で彼の隣に腰を下ろした。
顎の下の吸入口にカートリッジを差し込む。瞬間、痺れにも似た甘い感覚が頭の芯へと駆け登る。ふわふわとした多幸感に包まれて、つい「あぁああ」と声を漏らしていた。
「甘いの好きだよねぇ」
「だからもうその話いいって」
(たぶん)ニヤニヤと笑いながら、マックスも吸入口にカートリッジを挿入した。
しばらくの間、無言で久々の甘味を堪能していると、手持ち無沙汰になったマックスがローテーブルの上に出しっぱなしになっていたカタログに手を伸ばした。
「どっか換装すんの?」
「いや……別に。たまたま」
何となく気まずくて濁してしまったが、マックスはそれに気づいた様子もなくカタログをパラパラと流し見している。
「最近タイタンから出た集音パーツ、めっちゃ良いらしいね」
「どうせクソ高いんだろ?」
「そうそう。目玉が飛び出るくらい」
「目玉ねぇだろうが」
「あははっ」
分かりやすいジョークにツッコんでやると、マックスが嬉しそうに笑う。
この身体をネタにできる相手がいることに、いつも少し安堵する。それはマックスも同じなのだろうと思うと、なおさら。
デバイスを操ることに特化した彼の手は、ツルツルとしたカタログのページを苦も無く捲っていく。その手が、つい数時間前にカートが眺めていたページで止まった。
その頃にはチョコレート・ケーキの余韻はすっかり消え失せていて、カートは名残惜しく思いながらカートリッジを引き抜いた。
「カート、『スワンプマン』って知ってる?」
マックスが唐突につぶやいた。
カタログに目線を落としてはいるが、本当に紙面を眺めているのかどうか、その横顔からは分からない。
「……知らん。ヒーローものか何か?」
「映画とかじゃなくて……えーっとね、むかーしむかし、一人の男が森へ散歩に出かけました」
「はぁ」
突然始まった昔話に、話が見えないながらも適当に相槌を打つ。
森、ということは地球の話なのだろうか。この辺りの星系で植物が群生するほど水と酸素が豊かな土地はほとんどない。
「男が沼の近くを通りかかった時、突然雷が落ちてきて、男は死んでしまいました」
「急展開すぎるだろ」
「ですがその瞬間、沼の成分が雷と化学反応を起こして、死んだ男とまったく同じ姿、まったく同じ記憶を持つコピー、『スワンプマン』が誕生したのです」
「はぁ?」
「スワンプマンは死んだ男と同じように帰路を辿り、死んだ男の家に帰りました。姿かたちも記憶もそっくりそのまま同じだから、家族も友人も気づきません。そうしてスワンプマンは、死んだはずの男として、何食わぬ顔で生活をしましたとさ」
「何それめっちゃ怖いじゃん」
「怖いよねぇ。……でもさ、俺らもある意味スワンプマンなんじゃないかな」
「は?」
思わず低い声が漏れた。
マックスはじっとこちらを見返している。その顔には何の感情も浮かんでいないように見えた。
普段のマックスは声や身ぶりを最大限に使って、実に豊かに感情を表現する。だが裏を返せば、その気になれば、この男はいくらでも感情を隠してしまえるということだ。
「……俺らってほんとに人間だと思う?」
「おい」
「だって俺ら、脳みそと多少の有機組織しか残ってないし? フルの生身で生きてる人たちからしたら、俺らって『人間じゃないナニカ』に見えちゃうんじゃないかな。カートがスワンプマンのことを『めっちゃ怖い』って思うのと同じように、サイボーグじゃない人たちはサイボーグのことを『めっちゃ怖い』って感じてるのかも」
「やめろ。つかそういう意味で言ったんじゃねぇし。後出しセコいわ」
「雷が落ちた時点で……サイボーグ化手術を受けた時点で『マックス・マカリスター』としての連続性は一旦途切れて、今の俺は『マックス・マカリスターっぽいただの機械』でしかないんじゃないかって。だからサイボーグが生身の人たちから冷たくされちゃうのもある程度はしゃーないよね。むしろ、ガワはオリジナルと同じなんだからスワンプマンの方が優秀かも。」
「だっ、から……」
カートが本気で遮ろうとした瞬間、マックスはふっと空気を緩めた。
「って、仕事中ヒマだとそういうこと考えちゃうんだよねぇ。あー、アニマトロニクスほしーなー」
「……お前な」
わずかな振動から、自分の頭の中で冷却ファンが回転しているのを感じる。いつの間にか軽い熱暴走を起こしかけていたようだった。
ファンの駆動が収まるのを待ってから、カートは訊ねた。
「仕事しながらいつもそんなこと考えてんのかよ」
「別にいつもってわけじゃないけど……考え事はするでしょ。ホール出てると身体は動かすけど頭の中ヒマだもん」
「並列処理極めたサイボーグの弊害」
「それはそう。え、じゃあ何。カートは何も考えずに仕事してんの?」
「言い方。無心でやってんの」
「あー、いいなー。俺皿洗いじゃゾーン入れない」
いつの間にか、マックスはすっかりいつもの調子に戻っていた。
「ディスプレイショボくてもさ、」
「ショボいって言うのやめてくれますー?」
「まぁ、何つーか、あんま思い詰めなくてもいいっていうか。顔は替えたきゃ替えればいいと思うけど、アニマトロニクスにしなくても俺はお前の考えてることはだいたい分かる……つもりだし」
「……ほんと?」
「うん」
「じゃ俺が今何考えてるかわかる?」
……めんどくさい女みたいなこと言い始めたな。
隣に座るマックスの顔を見返した。
黄色い点が、ゆっくりと二回明滅する。穏やかな気持ちになっている時のサイン。
つられて、カートも二回まばたきをした。
ソファから腰を上げると、傾いた座面がギシリと音を立てた。ごみ捨て場から拾ってきたブラウン管テレビの下から、カートは繋ぎっぱなしになっていたゲーム機を引っ張り出す。
「当ったり!」
二つあるコントローラーのうちの一つを手渡すと、マックスは嬉しそうに声を弾ませた。
「カートまだ時間あんの?」
「一時間くらいなら」
「おっけ。どこまで進んでたっけ」
「8面。ボス硬すぎてソロきっつい」
「あー、協力プレイ前提の難易度よね。俺がいて良かったっしょ」
「うわ恩着せがまし」
軽快な音楽を鳴らしながらソフトが起動し、二人は電子の世界にしばしの逃避を試みる。
面倒なことはすべて一旦後回しにして、仮想の敵を撃ち落としスコアに一喜一憂する。
それが何の意味もない時間であったとしても、一緒に過ごす相手がマックス・マカリスターであるなら、そう悪いものだとも思えなかった。
初出:Pixiv 2025.09.07
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防衛サービスに入る前、清掃や飲食のお仕事をしていた頃のカートとマックスの話。
その日のシフトを終えて、カート・クレイマーは重たいため息をついた。
ところどころが凹んだ鉄製のドアが、背後で大きな音を立てて閉まる。路地裏に面した排気ダクトが吐き出す生ぬるい空気は、そう有害なものではないだろうが何となく吸うのを躊躇われ、足早にその場を立ち去った。
清掃の仕事は危険がない分、夜を徹して働いて得られる達成感はそう高くない。数時間後には、また同じだけのゴミが排出され、汚れが溜まるのだから。
軍で過ごした日々に比べれば何ということはない。だが単調な仕事と代わり映えのしない毎日は、カートの心をじわじわと倦ませていく。
マネーカードに後日振り込まれるであろう金額を頭の中で計算してみた。大部分を機械化したこの身体では避けて通れぬメンテナンス費用と、離れて暮らす妹の学費も。
今日は規定の勤務時間をややオーバーしたが、その分の手当はおそらくつかないだろう。
この仕事は、底辺労働者がありつけるものの中では比較的『割がいい』部類に入る。雇い主に異議を唱えようものなら直ちに首をすげ替えられることは目に見えていた。
ごみごみとした路地を抜けて表通りに出ると、すでに車がジェット音を立てながら行き交っている。街はこれから活動を開始しようという時間帯だった。
太陽系から外れたこの星に夜明けという概念はない。標準サイクルの基準となる衛星があるにはあるが、けばけばしいネオンライトに阻まれて、地上から肉眼で観測する事は出来なかった。
このまままっすぐ帰宅してもよかったが、カートの足は帰り道から少し外れたところにあるダイナーへ向いていた。
朝食と昼食の間の時間帯にある店内には、どこか気の抜けた空気が漂っている。カウンターの向こうでブラウン管テレビを眺めていた店員が、カートの姿を認めて片手を上げた。
「お、いらっしゃいませー」
マックス・マカリスターだった。
顔面のディスプレイから表情は推し量れないが、おそらくは友人の来店に相好を崩しているのだろう。お仕着せと思しき縞模様のエプロンは、正直あまり似合っていない。
カートは彼に頷き返して、壁際の小さなテーブル席に腰掛けた。
「仕事終わったとこ?」
「おう」
「お疲れ。何にする?」
雑にラミネートされたメニュー表が差し出された。
カートは習慣的にメニュー表を裏返し、右下の辺りを見る。食べられるものが限られているサイボーグ用のメニューは、たいてい一番後ろにまとめられているのだ。
その短いリストにざっと目を通して、一番安い吸引食を注文した。
「そんだけでいいの? 仕事上がりでしょ」
「今日はもう帰って寝るだけだし」
「そう?」
そんなやりとりをしつつ、カートはテーブルの下の充電ポートに手を伸ばした。
本来は客が通信端末なんかを充電するためのものでしかないが、この席のポートだけ、マックスによる改造が施されてサイボーグの給電にも対応していた。もちろん、この店の支配人には無断である。
「オーダー」
向こうのテーブル席に座っていた強化人間の客が片手を上げながら言った。マックスが「はいはい」と返事をしながらそちらへ向かう。
「ご注文どうぞー」
「ハンバーガー2、コーラ1、アイスティー1。以上」
「アイスティーに、ミルクとシロップつけますか?」
「不要」
「はい、ご注文繰り返します。……」
二人連れの強化人間は、マックスの方をちらりとも見ない。単語だけを並べた簡潔すぎる注文の仕方は、完全に給仕ボットに対する態度だった。
無意識のうちに、カートはテーブルの下で貧乏揺すりを始めていた。
運ばれてきた吸引食を流し込んでいると、今度は何かが床に落ちる耳障りな音が店内に響いた。
音のした方に目を向けると、どうやら客の一人が水の入ったコップを落としてしまったらしかった。
幸い、カップは安っぽいプラスチック製だったから割れるようなことはなかったようだ。色褪せたオレンジ色のタイルの隙間を、水が十字に這っていく。
すぐさま店員(マックスと同じエプロンを身に着けた、強化人間だ)が駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「あー、やっちゃった。ごめんなさい」
「代わりのお水、お持ちしますね」
「ええ。ありがとう」
強化人間の店員が新しいコップを取りに行くのと入れ違いに、カウンターからマックスが出てきた。彼は床に転がったコップを拾い、持ってきたモップで濡れた床を拭う。
カートはその様子をじっと見つめていた。だが、コップを落とした客も、代わりの水を持ってきた同僚も、マックスに声をかけることはない。
頭の中で、給電完了を告げる電子音が鳴った。
「アイツ、なんか睨んできてない?」
「放っとけよ。ああいうデザインなんだろ」
テーブル席の客たちが、ちらちらとこちらを見やりながら忍び笑いを漏らす。その声は店内のざわめきの中でもはっきりと聞き取ることができた。
床を拭っている間、マックスは一度もこちらを見なかった。
*
そこから先の記憶は曖昧だった。
意識的に感情をシャットダウンして足早に歩くうちに、カートはいつの間にか自宅である安アパートまで帰り着いていた。
雨ざらしの外階段を登り、三階の自室を目指す。途中の廊下に空の段ボールが放置されていたから、力任せに蹴飛ばした。大きく凹んだ段ボールは廊下の反対側まできれいに吹っ飛んでいったけれど、物に当たったところで気が晴れることもなかった。
片付けた方がいいだろうか、という考えがちらりと頭を過ったが、すぐにそれを打ち消す。
あの段ボールを捨てたのは自分ではない。自分には関係ない。掃除は勤務時間中だけでたくさんだ。
カートは部屋に戻って、シャワーを浴びた。
冷たい水を頭から浴びながら、自分の仕事について考えていた。
カートは現在、軍を退役して清掃業者として働いている。雇い主の指示により区内のあらゆる場所に派遣され、あとはひたすら掃除をする。派遣先は閉店後の商業施設であったり、病院であったり、オフィスビルであったりと様々だ。
命の危険こそないものの、どんな場所に派遣されてもカートの扱いは変わらない。
通行人たちはちょうどいいと言わんばかりにカートの前にゴミを投げ捨てていったし、同僚たちは一番汚い仕事をカートに押し付けることに何の躊躇いもなかった。
機械の手足を持ったカートには、汚物に触れる嫌悪感もないだろうと考えているようだった。
実際には、機械の手であろうと汚いものに触れるのは嫌だし、空気の悪い場所で長時間作業していると気分が悪くなってくる。強化人間より多少の無理はきくかもしれないが、それだけだ。
そのことを理解されないことが、無視して素通りされることが、どうしようもなく虚しかった。
雑に体を拭いて、服を着替える。身綺麗になっていくらか気分はさっぱりしたが、もやもやとした気持ちは晴れない。
思い出すのは、自分と同じように窮屈そうに働くマックスの姿だった。
マックスはいい奴だ。
軍にいた頃から仕事の腕は確かだったし、人あたりがよくて、前線に出て気分が荒むことの多いカートにも気さくに接してくれる唯一の相手だった。
退屈な歩哨任務のかたわら、二人でくだらない話をして明かした夜が数え切れないほどあった。
そんな彼がロボット扱いされているところなど、見たくなかった。もし立場が逆だったとしても、カートも彼にそんなところは見られたくなかった。
ありがとう。ごめんなさい。
その言葉をもらう権利が、マックスにだってあるはずだった。
髪をきっちり乾かしてから、カートは部屋の隅に放置された雑多な紙類の山からサイボーグ用のパーツカタログを引っ張り出した。ずいぶん前にメンテナンス業者から押し付けられたものだ。
無骨な指先で苦労してページを繰り、頭部のパーツ――アニマトロニス製品のページを開いた。
「たっ……けぇ」
思わず声を漏らしていた。
カートの顔の上半分は自前の有機組織であったから、表情ディスプレイにも感情再現プログラムにも用がなかった。高級なものであるということは何となく知っていたが、実際にカタログで金額を目にすると軽く途方に暮れた。
脳波から本人の感情を読み取り、表情としてリアルタイムに出力し続ける装置なのだ。想像もつかないほど高度な技術が用いられているのだろう。
微細な感情の機微を再現できるモデルはさらに価格が跳ね上がる。
ごく普通の飲食店で働くマックスの稼ぎは、カートのとそう変わらないはずだ。これだけの金額を用意しようとすると、一体何年かかるのだろう。
星系外の鉱石採掘施設で数十年単位の労働契約を結ぶとか、そういう手段を取らない限り到底稼ぎきれないのではないか。
――あるいは、もっと非合法な手段か。
そんな考えがちらりと頭を過って、カートはカタログを閉じた。
夜勤明けで疲れているのだ。
一旦はそう結論づけて、ベッドに潜り込んだ。スリープモードへ移行すると、カードの意識は速やかに閉じていく。
*
ピンポン、と間の抜けたチャイムの音がして、カートは眠りの淵から呼び戻された。
時刻を確認すると、半日近く眠っていたようだった。次のシフトにはまだ余裕がある。のそのそと身体を起こす間も、チャイムは連打され続けていた。
「うるせぇ」
ドアを開けながら低く唸った。この部屋を訪ねてくる相手など、一人しかいない。
部屋の前にマックスが立っていた。
いつもの、明るい色のジャケット姿だ。時間帯からして、仕事場から帰る途中に立ち寄ったのだろう。
「おはよー。来ちゃった」
「おはようって時間でもねぇだろ」
「上がっていい? お土産あるから」
カートが何も言わず身体を引くと、マックスも勝手知ってる様子で入ってきた。スプリングの壊れたソファに遠慮なく腰を下ろす。
「使用期限近づいて廃棄予定だったからさ。カートくんと一緒に食べようと思って」
そう言いながらマックスがポケットから取り出したのは、サイボーグ用の吸引式ケーキだった。そっけないパッケージに「クリーム・ケーキ」「チョコレート・ケーキ」と印字されている。
カートは内心、少しだけ呆れていた。
彼の勤める店で提供されているものであることは間違いないのだろうが、粉末やペースト状に加工されたサイボーグ用の吸引食は、強化人間たちの食事と違ってかなり日持ちする。
このケーキたちが使用期限を迎えるまで売れ残っていたとは考えにくかった。
大方、保管記録に手を加えたのだろう。こういう小細工をさせれば彼の右に出る者はそうそういない。
「どっちがいい?」
吸引式ケーキのパッケージを差し出しながら、マックスがこちらを見あげている。
フェイス・ディスプレイに浮かんだ二つの黄色い点から表情は読み取れない。だが、得意げな笑みを浮かべていることは分かりきっていた。
「……チョコ」
茶色い方のパッケージに手を伸ばすと、マックスがくつくつと肩を揺らした。
「カートって、クリームとチョコなら絶対チョコだし、メロンとイチゴなら絶対イチゴ選ぶよね」
「……うるせ」
反論できなくて、カートはしかめ面で彼の隣に腰を下ろした。
顎の下の吸入口にカートリッジを差し込む。瞬間、痺れにも似た甘い感覚が頭の芯へと駆け登る。ふわふわとした多幸感に包まれて、つい「あぁああ」と声を漏らしていた。
「甘いの好きだよねぇ」
「だからもうその話いいって」
(たぶん)ニヤニヤと笑いながら、マックスも吸入口にカートリッジを挿入した。
しばらくの間、無言で久々の甘味を堪能していると、手持ち無沙汰になったマックスがローテーブルの上に出しっぱなしになっていたカタログに手を伸ばした。
「どっか換装すんの?」
「いや……別に。たまたま」
何となく気まずくて濁してしまったが、マックスはそれに気づいた様子もなくカタログをパラパラと流し見している。
「最近タイタンから出た集音パーツ、めっちゃ良いらしいね」
「どうせクソ高いんだろ?」
「そうそう。目玉が飛び出るくらい」
「目玉ねぇだろうが」
「あははっ」
分かりやすいジョークにツッコんでやると、マックスが嬉しそうに笑う。
この身体をネタにできる相手がいることに、いつも少し安堵する。それはマックスも同じなのだろうと思うと、なおさら。
デバイスを操ることに特化した彼の手は、ツルツルとしたカタログのページを苦も無く捲っていく。その手が、つい数時間前にカートが眺めていたページで止まった。
その頃にはチョコレート・ケーキの余韻はすっかり消え失せていて、カートは名残惜しく思いながらカートリッジを引き抜いた。
「カート、『スワンプマン』って知ってる?」
マックスが唐突につぶやいた。
カタログに目線を落としてはいるが、本当に紙面を眺めているのかどうか、その横顔からは分からない。
「……知らん。ヒーローものか何か?」
「映画とかじゃなくて……えーっとね、むかーしむかし、一人の男が森へ散歩に出かけました」
「はぁ」
突然始まった昔話に、話が見えないながらも適当に相槌を打つ。
森、ということは地球の話なのだろうか。この辺りの星系で植物が群生するほど水と酸素が豊かな土地はほとんどない。
「男が沼の近くを通りかかった時、突然雷が落ちてきて、男は死んでしまいました」
「急展開すぎるだろ」
「ですがその瞬間、沼の成分が雷と化学反応を起こして、死んだ男とまったく同じ姿、まったく同じ記憶を持つコピー、『スワンプマン』が誕生したのです」
「はぁ?」
「スワンプマンは死んだ男と同じように帰路を辿り、死んだ男の家に帰りました。姿かたちも記憶もそっくりそのまま同じだから、家族も友人も気づきません。そうしてスワンプマンは、死んだはずの男として、何食わぬ顔で生活をしましたとさ」
「何それめっちゃ怖いじゃん」
「怖いよねぇ。……でもさ、俺らもある意味スワンプマンなんじゃないかな」
「は?」
思わず低い声が漏れた。
マックスはじっとこちらを見返している。その顔には何の感情も浮かんでいないように見えた。
普段のマックスは声や身ぶりを最大限に使って、実に豊かに感情を表現する。だが裏を返せば、その気になれば、この男はいくらでも感情を隠してしまえるということだ。
「……俺らってほんとに人間だと思う?」
「おい」
「だって俺ら、脳みそと多少の有機組織しか残ってないし? フルの生身で生きてる人たちからしたら、俺らって『人間じゃないナニカ』に見えちゃうんじゃないかな。カートがスワンプマンのことを『めっちゃ怖い』って思うのと同じように、サイボーグじゃない人たちはサイボーグのことを『めっちゃ怖い』って感じてるのかも」
「やめろ。つかそういう意味で言ったんじゃねぇし。後出しセコいわ」
「雷が落ちた時点で……サイボーグ化手術を受けた時点で『マックス・マカリスター』としての連続性は一旦途切れて、今の俺は『マックス・マカリスターっぽいただの機械』でしかないんじゃないかって。だからサイボーグが生身の人たちから冷たくされちゃうのもある程度はしゃーないよね。むしろ、ガワはオリジナルと同じなんだからスワンプマンの方が優秀かも。」
「だっ、から……」
カートが本気で遮ろうとした瞬間、マックスはふっと空気を緩めた。
「って、仕事中ヒマだとそういうこと考えちゃうんだよねぇ。あー、アニマトロニクスほしーなー」
「……お前な」
わずかな振動から、自分の頭の中で冷却ファンが回転しているのを感じる。いつの間にか軽い熱暴走を起こしかけていたようだった。
ファンの駆動が収まるのを待ってから、カートは訊ねた。
「仕事しながらいつもそんなこと考えてんのかよ」
「別にいつもってわけじゃないけど……考え事はするでしょ。ホール出てると身体は動かすけど頭の中ヒマだもん」
「並列処理極めたサイボーグの弊害」
「それはそう。え、じゃあ何。カートは何も考えずに仕事してんの?」
「言い方。無心でやってんの」
「あー、いいなー。俺皿洗いじゃゾーン入れない」
いつの間にか、マックスはすっかりいつもの調子に戻っていた。
「ディスプレイショボくてもさ、」
「ショボいって言うのやめてくれますー?」
「まぁ、何つーか、あんま思い詰めなくてもいいっていうか。顔は替えたきゃ替えればいいと思うけど、アニマトロニクスにしなくても俺はお前の考えてることはだいたい分かる……つもりだし」
「……ほんと?」
「うん」
「じゃ俺が今何考えてるかわかる?」
……めんどくさい女みたいなこと言い始めたな。
隣に座るマックスの顔を見返した。
黄色い点が、ゆっくりと二回明滅する。穏やかな気持ちになっている時のサイン。
つられて、カートも二回まばたきをした。
ソファから腰を上げると、傾いた座面がギシリと音を立てた。ごみ捨て場から拾ってきたブラウン管テレビの下から、カートは繋ぎっぱなしになっていたゲーム機を引っ張り出す。
「当ったり!」
二つあるコントローラーのうちの一つを手渡すと、マックスは嬉しそうに声を弾ませた。
「カートまだ時間あんの?」
「一時間くらいなら」
「おっけ。どこまで進んでたっけ」
「8面。ボス硬すぎてソロきっつい」
「あー、協力プレイ前提の難易度よね。俺がいて良かったっしょ」
「うわ恩着せがまし」
軽快な音楽を鳴らしながらソフトが起動し、二人は電子の世界にしばしの逃避を試みる。
面倒なことはすべて一旦後回しにして、仮想の敵を撃ち落としスコアに一喜一憂する。
それが何の意味もない時間であったとしても、一緒に過ごす相手がマックス・マカリスターであるなら、そう悪いものだとも思えなかった。
初出:Pixiv 2025.09.07