No.3
秋の庭にて
ダラムに越してきたばかりの頃のフレッドとルイスの話。
朝の水やりを終えて、フレッドは一息ついた。
ダラムにあるウィリアムの屋敷にモランとフレッドが呼び寄せられてしばらく経つ。
表向きの仕事として庭の管理を任されたときはどうなることかと不安に思ったが、自分には案外こうした仕事も向いているらしい。あの方はきっとフレッド自身気付いていなかった適性をも見抜いていたのだろうと思うと感心を通り越して畏怖さえ覚えた。
ズボンについた土を払いながら立ち上がり、庭を見渡す。
季節が秋に差しかかったため彩りこそ少ないが、ちらほらと咲いたつるバラは春よりも色に深みがある。以前住んでいた貴族が立ち退いてからは長らく放置されていたものの、今はフレッドの奮闘により程良く整えられ田舎らしいコテージガーデンといった趣だ。
これからさらに手を入れていくとしても、人工的に整然と整えるよりは今ある野趣を残したほうがこの田舎町の空気に馴染むだろう。春に向けて球根の植え付けに取り掛からねばならないし、そうなると品種の選定も必要だ。
今度ウィリアムに相談してみよう、とフレッドはほんの少し浮き立った気持ちで考えた。
空いているテラコッタ鉢はどのくらいあっただろうかとふと気になって、倉庫に向かうことにした。庭の管理を一任されるにあたって、「中のものは好きに使って構わない」とウィリアムから言い渡されている。
屋敷の裏手に回ると、井戸のそばの洗い場にルイスがいた。
普段きっちりと着込んだジャケットを脱いで、腕まくりさえしている。彼が桶をひっくり返すと、濁った水がざぶんと音を立てて排水口に消えていった。
フレッドは慌てて駆け寄った。
「手伝います」
「フレッドさん……? じゃあ、皮を剥いてくださいますか」
かごの中にはフレッドの拳よりも大きいじゃがいもが山と盛られている。
食事の支度をしていたらしい。
ルイスさん、じゃがいも似合わないな……と思いながら、手渡されたナイフを受け取った。ルイスは手を拭きながら勝手口から台所へ引っ込むと、すぐにもうひとつナイフを手に戻ってくる。
「あの、僕がやっておきますのでルイスさんは」
「二人でやったほうが早いですよ」
気を遣ったつもりだったが素っ気無く返され、フレッドは僅かに気圧される。
普段はたとえモランのような厳つい大男に凄まれても動じないフレッドも、ルイスの冷然とした態度は少し苦手だった。
「庭の仕事はもういいのですか?」
「あっ……はい、ちょうど一段落したところです」
「それなら良かった」
「……これ、全部食べるのですか?」
フレッドは恐る恐る尋ねた。
夕食の仕込みも兼ねているとしても、この屋敷の住人は4人しかいないのだ。
「街の方にたくさん頂いたので、サラダとシェパードパイにでもしようかと……そんなに多かったでしょうか。フレッドさんとモランさんがいれば大丈夫でしょう?」
「でも……」
「誰かに比べてあなたはよく働いてくれていますし……兄さんの召し上がる量に合わせていたら体がもちませんよ」
フレッドは頬に僅かに血が昇るのを感じた。
モリアーティ家では使用人だろうと関係なく、全員が同じテーブルで食事をとる。
モランなどは気兼ねなくその体格に見合った量を要求していたが、フレッドには主人よりも多く食べるわけにはいかないという妙な遠慮があった。
常に細やかな気配りを欠かさないルイスにはとっくに見抜かれていたらしい。
「兄さんは『適度な空腹状態のほうが集中力を維持できるから』と言って一度の食事であまり多く召し上がらないんですよ。家にいらっしゃる間はお茶の時間にお菓子をお出ししますが、大学ではちゃんと昼食をとられているのかどうか。食堂の料理がお口に合わないのならお弁当を用意しようかとも思ったのですが、モランさんに『過保護すぎる』と笑われてしまって……」
照れてうつむくフレッドを気にせず、ルイスはぶつぶつと呟いている。
どうやらこの人は兄弟の事となるといくらか饒舌になるらしい。嬉しくなって、フレッドは自分から話を振ってみた。
「お弁当、きっと喜ばれると思います。ウィリアムさんは何でも美味しそうに召し上がりますよね」
「そうですね……。そういえば兄さんの嫌いな食べ物は僕も知りません」
「貴族の方は野菜をあまり食べないと聞いていました」
野菜、特に安く手に入って腹を満たしやすいじゃがいもは庶民の食べ物というイメージが強かった。貴族の中には土に塗れたものを食べるなんて穢らわしいと考える者さえいると聞く。
「それこそ兄さんにも僕にも理解できない感覚ですね。食べ物にまで位をつけたがるなんて、馬鹿馬鹿しい話です」
せっかく農家の方が丹精込めて育ててくれたのに、とルイスはじゃがいもに刃を滑らせながら呟いた。その動作は淀みなく、するすると無駄なく皮が削ぎ落とされていく。フレッドも刃物の扱いに慣れてはいたが、皮剥きとなるとルイスの手際の良さには及ばなかった。
また一つ、つるんと剝かれたじゃがいもがかごに落とされる。
「アルバート兄様だって、ウィリアム兄さんに比べれば味にうるさい方ですが、妙なえり好みはなさいませんよ」
「アルバート様も、じゃがいもを召し上がりますか?」
「もちろん。学生の頃に屋台でフィッシュ・アンド・チップスを召し上がった事もあります」
「えぇ……っ」
「領地の視察に地方を訪れたとき、兄様が『あれが食べてみたい』と言い出して……。ロンドンを離れて知らない街を歩くのは初めてだったので、きっと兄様もどこか浮かれていたのでしょうね」
「歩きながら手掴みでものを食べるアルバート様なんて、ちっとも想像できません」
「ふふ、さすがに近くのベンチに座りましたよ。でも兄様に屋台で買い物をさせるわけにもいかなくて、僕が代わりに買ってきました。そうしたら兄さんが……」
当時の事が懐かしく思い出されたのか、眼鏡の奥でルイスの紅い瞳が弧を描いた。
あ、と思った。
思いがけない表情に吸い寄せられるようにフレッドが顔を上げると、ぱちりと視線が合う。ルイスはきまり悪そうに顔をしかめた。
「……喋りすぎましたね。兄さんたちには……いえ、フレッドさんなら口止めをする必要もありませんか」
ルイスがパチンとナイフを畳む。
いつの間にか二人の間にあったかごは空になっていた。剥き終わったいもをルイスがひとつのかごにまとめ、フレッドが散らばった皮をかき集める。
「助かりました、フレッドさん」
「あ、ルイスさん」
かごを抱えて台所に戻ろうとするルイスを思わず呼び止めていた。
「あの……フレッド、と呼んでください」
言ってしまうと、何故だか途端に照れ臭い気持ちがこみ上げてきた。「さん」はつけなくて構いません、と続けたつもりだったが、口の中でもごもごと呟くだけになってしまった。
不審に思われなかっただろうかとルイスの様子を覗うと、彼は驚いたように一瞬動きを止めて、それからふわりと目を細めた。
「わかりました。ありがとう、フレッド」
ルイスがそう言い残して勝手口へ消えていったあとも、フレッドはしばらくその場に立ち尽くしていた。彼とこんなに長く話したのはおそらく出会って以来初めてで、不思議な達成感があった。
見た目ほど冷たい人ではないと、わかった。
今度、彼の好きな花も聞いておかなければ。
それとも、実用性のあるハーブの方が彼の好みに合うだろうか。
弾む気持ちを抑えながら、フレッドはテラコッタ鉢を数えに倉庫へと向かった。
初出:Pixiv 2021.06.05
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ダラムに越してきたばかりの頃のフレッドとルイスの話。
朝の水やりを終えて、フレッドは一息ついた。
ダラムにあるウィリアムの屋敷にモランとフレッドが呼び寄せられてしばらく経つ。
表向きの仕事として庭の管理を任されたときはどうなることかと不安に思ったが、自分には案外こうした仕事も向いているらしい。あの方はきっとフレッド自身気付いていなかった適性をも見抜いていたのだろうと思うと感心を通り越して畏怖さえ覚えた。
ズボンについた土を払いながら立ち上がり、庭を見渡す。
季節が秋に差しかかったため彩りこそ少ないが、ちらほらと咲いたつるバラは春よりも色に深みがある。以前住んでいた貴族が立ち退いてからは長らく放置されていたものの、今はフレッドの奮闘により程良く整えられ田舎らしいコテージガーデンといった趣だ。
これからさらに手を入れていくとしても、人工的に整然と整えるよりは今ある野趣を残したほうがこの田舎町の空気に馴染むだろう。春に向けて球根の植え付けに取り掛からねばならないし、そうなると品種の選定も必要だ。
今度ウィリアムに相談してみよう、とフレッドはほんの少し浮き立った気持ちで考えた。
空いているテラコッタ鉢はどのくらいあっただろうかとふと気になって、倉庫に向かうことにした。庭の管理を一任されるにあたって、「中のものは好きに使って構わない」とウィリアムから言い渡されている。
屋敷の裏手に回ると、井戸のそばの洗い場にルイスがいた。
普段きっちりと着込んだジャケットを脱いで、腕まくりさえしている。彼が桶をひっくり返すと、濁った水がざぶんと音を立てて排水口に消えていった。
フレッドは慌てて駆け寄った。
「手伝います」
「フレッドさん……? じゃあ、皮を剥いてくださいますか」
かごの中にはフレッドの拳よりも大きいじゃがいもが山と盛られている。
食事の支度をしていたらしい。
ルイスさん、じゃがいも似合わないな……と思いながら、手渡されたナイフを受け取った。ルイスは手を拭きながら勝手口から台所へ引っ込むと、すぐにもうひとつナイフを手に戻ってくる。
「あの、僕がやっておきますのでルイスさんは」
「二人でやったほうが早いですよ」
気を遣ったつもりだったが素っ気無く返され、フレッドは僅かに気圧される。
普段はたとえモランのような厳つい大男に凄まれても動じないフレッドも、ルイスの冷然とした態度は少し苦手だった。
「庭の仕事はもういいのですか?」
「あっ……はい、ちょうど一段落したところです」
「それなら良かった」
「……これ、全部食べるのですか?」
フレッドは恐る恐る尋ねた。
夕食の仕込みも兼ねているとしても、この屋敷の住人は4人しかいないのだ。
「街の方にたくさん頂いたので、サラダとシェパードパイにでもしようかと……そんなに多かったでしょうか。フレッドさんとモランさんがいれば大丈夫でしょう?」
「でも……」
「誰かに比べてあなたはよく働いてくれていますし……兄さんの召し上がる量に合わせていたら体がもちませんよ」
フレッドは頬に僅かに血が昇るのを感じた。
モリアーティ家では使用人だろうと関係なく、全員が同じテーブルで食事をとる。
モランなどは気兼ねなくその体格に見合った量を要求していたが、フレッドには主人よりも多く食べるわけにはいかないという妙な遠慮があった。
常に細やかな気配りを欠かさないルイスにはとっくに見抜かれていたらしい。
「兄さんは『適度な空腹状態のほうが集中力を維持できるから』と言って一度の食事であまり多く召し上がらないんですよ。家にいらっしゃる間はお茶の時間にお菓子をお出ししますが、大学ではちゃんと昼食をとられているのかどうか。食堂の料理がお口に合わないのならお弁当を用意しようかとも思ったのですが、モランさんに『過保護すぎる』と笑われてしまって……」
照れてうつむくフレッドを気にせず、ルイスはぶつぶつと呟いている。
どうやらこの人は兄弟の事となるといくらか饒舌になるらしい。嬉しくなって、フレッドは自分から話を振ってみた。
「お弁当、きっと喜ばれると思います。ウィリアムさんは何でも美味しそうに召し上がりますよね」
「そうですね……。そういえば兄さんの嫌いな食べ物は僕も知りません」
「貴族の方は野菜をあまり食べないと聞いていました」
野菜、特に安く手に入って腹を満たしやすいじゃがいもは庶民の食べ物というイメージが強かった。貴族の中には土に塗れたものを食べるなんて穢らわしいと考える者さえいると聞く。
「それこそ兄さんにも僕にも理解できない感覚ですね。食べ物にまで位をつけたがるなんて、馬鹿馬鹿しい話です」
せっかく農家の方が丹精込めて育ててくれたのに、とルイスはじゃがいもに刃を滑らせながら呟いた。その動作は淀みなく、するすると無駄なく皮が削ぎ落とされていく。フレッドも刃物の扱いに慣れてはいたが、皮剥きとなるとルイスの手際の良さには及ばなかった。
また一つ、つるんと剝かれたじゃがいもがかごに落とされる。
「アルバート兄様だって、ウィリアム兄さんに比べれば味にうるさい方ですが、妙なえり好みはなさいませんよ」
「アルバート様も、じゃがいもを召し上がりますか?」
「もちろん。学生の頃に屋台でフィッシュ・アンド・チップスを召し上がった事もあります」
「えぇ……っ」
「領地の視察に地方を訪れたとき、兄様が『あれが食べてみたい』と言い出して……。ロンドンを離れて知らない街を歩くのは初めてだったので、きっと兄様もどこか浮かれていたのでしょうね」
「歩きながら手掴みでものを食べるアルバート様なんて、ちっとも想像できません」
「ふふ、さすがに近くのベンチに座りましたよ。でも兄様に屋台で買い物をさせるわけにもいかなくて、僕が代わりに買ってきました。そうしたら兄さんが……」
当時の事が懐かしく思い出されたのか、眼鏡の奥でルイスの紅い瞳が弧を描いた。
あ、と思った。
思いがけない表情に吸い寄せられるようにフレッドが顔を上げると、ぱちりと視線が合う。ルイスはきまり悪そうに顔をしかめた。
「……喋りすぎましたね。兄さんたちには……いえ、フレッドさんなら口止めをする必要もありませんか」
ルイスがパチンとナイフを畳む。
いつの間にか二人の間にあったかごは空になっていた。剥き終わったいもをルイスがひとつのかごにまとめ、フレッドが散らばった皮をかき集める。
「助かりました、フレッドさん」
「あ、ルイスさん」
かごを抱えて台所に戻ろうとするルイスを思わず呼び止めていた。
「あの……フレッド、と呼んでください」
言ってしまうと、何故だか途端に照れ臭い気持ちがこみ上げてきた。「さん」はつけなくて構いません、と続けたつもりだったが、口の中でもごもごと呟くだけになってしまった。
不審に思われなかっただろうかとルイスの様子を覗うと、彼は驚いたように一瞬動きを止めて、それからふわりと目を細めた。
「わかりました。ありがとう、フレッド」
ルイスがそう言い残して勝手口へ消えていったあとも、フレッドはしばらくその場に立ち尽くしていた。彼とこんなに長く話したのはおそらく出会って以来初めてで、不思議な達成感があった。
見た目ほど冷たい人ではないと、わかった。
今度、彼の好きな花も聞いておかなければ。
それとも、実用性のあるハーブの方が彼の好みに合うだろうか。
弾む気持ちを抑えながら、フレッドはテラコッタ鉢を数えに倉庫へと向かった。
初出:Pixiv 2021.06.05