No.28

The Heavenly Dispensing
 フレッド人狼パロ③

 翌日、ルイスは一人で銀食器を磨いていた。
 気を抜くと、あの青年のことばかり考えていた。
 助けてもらって、お礼を言って、それで終わりのはずだ。少なくとも、今までのルイスの人付き合いはそうだった。
 もしまたモランの家やどこかの街角で顔を合わせる機会があっても、軽く挨拶をするだけ。そう思うと、なんだかとても残念な気がした。なぜそう感じるのと聞かれると、うまく言葉にできなかったが。

(そうだ、そもそも助けてくれたのはフレッドさんではなくてフレディだ)

 またあの子を撫でたい。首の周りのもふもふとした毛皮を堪能して、あの時はありがとう、と改めてお礼を言って、そして彼がいかに勇敢に闘ったかをフレッドさんに……。
 ルイスはため息をついた。
 結局自分は、フレディをもう一度撫でたいのか、それともフレッドと話がしたいのか。
 ぴかぴかに磨かれた銀のスプーンの表面には、ルイスの顔が写っている。スプーンの形状に合わせて歪んだ影ではあったが、頬に大きな傷があることは嫌でもわかった。
 昔から、人付き合いは苦手だった。
 兄たちとの接点を持とうとして自分に近付いてくる人間はすぐにそれとわかった。地位があり立派な仕事に就いていることを抜きにしても、彼らほど素晴らしい人間はそういないのだから、そうした下心を抱くのは仕方のないことだ。ルイス自身、それが兄たちにとって有益な相手であれば親しく接するよう努力した。
 けれど、兄たちの存在を抜きにして、ルイス個人として人と関わった経験は皆無と言ってよかった。  
 学生時代には友人がいないでもなかったが、卒業して以降は誰とも連絡を取っていない。モランだって、もとはウィリアムが連れてきて、今はアルバートから森番としての職務を拝命している人間なのだからノーカウントだ。
 フレッドに対してどう接すればよいのか、ルイスには分からなかった。こういう時、普通の友人ならどうするのだろう――。
 そしてルイスははたと気がつく。
 自分は、彼と友人になりたいのか? どうして。
 昨日顔を合わせたばかりの相手と?
 思考は堂々巡りを繰り返すばかりだった。
 一人でうんうん唸っていると、テラスに続く掃き出し窓から庭師のクリントがひょっこりと顔を出した。

「今日のお庭の手入れ、終わりましたので」
「あ、はい……。ありがとうございます、お疲れ様でした」

 ルイスは慌てて立ち上がった。
 そのまま帰ると思われたクリントはしばし躊躇った後、「あの」と切り出した。帽子を脱いで、いつになく改まった様子だ。

「ルイスさん、お願いがありまして」
「はい、何でしょう?」
「アルバート様に少しお時間をいただけないか、頼んでいただけないでしょうか」
「それはもちろん構いませんけど……どうかなさいましたか?」
「実は、息子が結婚することになりまして」
「え、そうなんですか。おめでとうございます」

 クリントの息子といえば、地元の学校を出て大きな街で役人になったと聞いている。ルイスとはいくらか年が離れているのであまり交流したことはなかったが、大らかでとても気のいい男だったことは印象に残っていた。
 クリントは誇らしげに胸を反らしたが、けれどすぐに浮かない顔に戻った。

「それで、その……これを機にあちらで一緒に暮らさないかと言われているんです。相手方も是非にと言ってくれているようで、こんな年寄りには願ってもない話です。ですので、お暇をいただきたくて……」
「そうでしたか……」
「先代の頃から良くしていただいたのに、申し訳ありません」
「いえ、謝ることではありませんよ。アルバート兄様も、すぐにお祝いを準備するようおっしゃるはずです」
「そんな、とんでもない」
「直接お話ができるように伝えておきますね。明日の夜でいかがです? 夕方には戻られる予定なので」
「はぁ、よろしくお願いします」

 クリントは恐縮しながら出て行った。





 それから数日が過ぎた。
 クリントは無事アルバートと話をつけて、引っ越しの支度に取りかかっていた。村では親しかった者たちが寄り集まってささやかな宴が催され、モリアーティ家も長年勤めてくれた彼と彼の息子へ心づくしの祝いの品を贈った。
 近いうちに代わりの庭師を探さなければならなかったが、この田舎町ではすぐに代わりが見つかるとは思えない。当面の間はルイスがカバーできるよう、多少なりともが仕事を覚えておく必要があった。
 その日、クリントは新しく住む街へ引越し前の下見に出かけていたので、ルイスは午後から庭に出ていた。
 草木に水をやり、目立つ雑草を引き抜いて、芝生の手入れを行うつもりだったが、芝刈り機は案外重い。慣れないルイスが一人で広い屋敷の庭を刈り込むのは結構な重労働だった。
 だから裏口の外に人の気配を感じたとき、やっと来た、と思った。
 ルイスは裏口の木戸を勢いよく開け放った。

「遅いですよモランさん! ………あ」

 そこにいたのは、モランではなくあの青年だった。フレッドはいきなり戸が開いたこととルイスの勢いにひどく驚いた様子だった。
 ルイスは慌てて弁解した。

「あ、あの、すみません。てっきりモランさんかと……」
「……大丈夫です、びっくりしただけで。あの、これを……」

 彼はバスケットを差し出した。
 すっかり忘れていたが、先日ローストビーフを入れて渡した例のバスケットだった。
 中には綺麗に洗われた皿と、やはり薔薇の花が入っている。今回は小ぶりな白い薔薇が五本、簡単なブーケになっていた。
 ルイスは思わず顔を綻ばせた。

「ありがとうございます。綺麗ですね」

 居間や玄関の大きな花瓶に生けるよりは、小さなガラス瓶に挿して窓辺に飾っておきたくなるような花束だった。慎ましやかでとても可愛らしい。
 褒められたフレッドはわずかに頬を赤らめて、くすぐったそうに首をすくめた。

「こちらこそありがとうございました。お肉、美味しかったです。…………フレディも、喜んでました」
「よかった。ところで、モランさんは一緒じゃないんですか?」
「え? いえ……」

 フレッドは目を瞬かせた後、ふるふると首を振った。

「モランは、用事があるみたいでした。ここへ来る途中に寄ったんですが、『今日は忙しい』と……」
「そう、ですか…………」
「どうかしたんですか?」
「いえ、モランさんに庭仕事の手伝いをお願いしていたので……」

 逃げたな、と思ったが、さすがにフレッドの前では口に出せなかった。

「あの、僕でよければお手伝いします」
「え」
「モランは今日は来られませんし、ルイスさん一人でするのも大変だと思うので……」

 目は心の窓とはよく言ったものだが、彼の目に浮かんでいるのは間違いなく、眩しいまでの善意だった。
 ……もしかして、モランは彼がこう言うであろうことを見越していたのではないだろうか。ルイスはそう勘繰らずにはいられなかった。
 フレッドの申し出は正直ありがたい。しかし普段からこうやって仕事や雑用を彼に押し付けていないか、あとでモランを問い詰めておく必要があるだろう。

「では……お願いしてもいいですか」
「はい」
「無理はしないでくださいね。腕、怪我していたでしょう」

 フレッドは少し驚いたような顔をしてから、はにかんだように小さく頷いた。




 
 それから二人で交代しながら芝刈り機を動かした。最初はおっかなびっくりだったフレッドも、すぐにコツを掴んですいすいと調子良く芝を刈ってくれた。
 あまりこき使うのも申し訳なかったので芝刈りまでで終わりにするつもりだったのに、彼が庭の花壇にも興味を示したので、結局花の世話まで手伝ってもらった。
 普段からあの温室の管理をしているだけあって、フレッドの手際は素晴らしかった。葉を傷つけないように虫を取る方法や摘み取るべき芽の選び方など、ルイスの方が教わることが多かったくらいだ。
 おそらく、モランと二人ではこうは行かなかっただろう。普段彼に「お前は細かすぎる」と散々不満を言われるルイスの目から見ても、黙々と作業に打ち込むフレッドの手つきはとても丁寧で細やかだった。本当に、花が好きなのだろう。
 花壇の手入れを終えたところで、ルイスは庭の掃き掃除を彼に頼んだ。

「すみません、少しの間外します。すぐに戻りますが、何かあったら呼んでください」

 彼が小さく頷いて作業に取りかかったのを見届けてから、ルイスは屋敷の中に引っ込んだ。
 しばらくして庭に戻ると、ちょうど彼は落ち葉や枝切れを一箇所に集め終えたところだった。

「お疲れ様です。ありがとうございました」
「いえ」
「あの、よければお茶にしませんか。タルトを焼きましたので」

 そう告げると、フレッドは「え」と小さく声を上げた。

「もともとモランさんにお出しするつもりで用意していたんです。食べていってください」

 そう言ってしまえば、彼は断わらないだろうという予感があった。用事があったとはいえ彼の方から訪ねてきてくれたこと、手伝いを申し出てくれたことが嬉しくて、もう少しだけ、彼を引き止めていたかった。
 フレッドはどこか落ち着かない様子でテラスのテーブルに腰掛けた。カスタードクリームをたっぷり使った木苺のタルトにナイフを入れるのを、固唾を飲んで見守っている。おかげで、ルイスの方まで何となく緊張してしまった。
 切り分けて皿に移し、フレッドの前に差し出す。「どうぞ」と促すと、彼は恐る恐るフォークを手に取った。

「あったかい」

 ひとくち食べて、彼はそう呟いた。
 そのちいさな子どものような感想に、ルイスはほっと息をついた。

「焼きたてですから」
「美味しいです。宝石みたいなのに、甘くてあったかい」

 つやつやと輝く真っ赤な木苺のことを言っているのだろうか。彼が口にすると気取った比喩にも聞こえないから不思議だ。
 まっすぐな褒め言葉がくすぐったくて、ルイスは表情が緩みそうになるのを口をきゅっと引き結んで堪えた。あまり表情に起伏のない彼もどことなく嬉しげに見えるのは気のせいだろうか。
 例えば自分に弟ができたら、きっとこんな感じなのだろうか。自分のタルトをつつきながら、ルイスは考えた。

「……もう一つ、食べますか?」

 気づけばそう口にしていた。小さくなってきたタルトを、名残惜しそうにゆっくりと食べているのが可愛らしかった。

「え、でも……」
「この家には兄二人と、僕だけです。どちらにせよ余ってしまうので、良ければ」
「……いえ、僕は一ついただけただけで満足です。モランの分、取っておいてあげてください」

 遠慮する上にそんなことを言うので、ルイスは思わず頬を膨らませた。

「手伝いを放り出した人の分はありません」
「うっかり忘れてしまっただけだと思います。今日、何か用事があるって言ってましたし……」
「まだ信じてるんですか、それ」
「え?」
「……ふふ」

 ルイスが笑うと、彼はなぜ笑われているのかわからない、といった顔で不思議そうに首を傾げた。

「モランさんとは……仲がいいんですね」

 どう話を振ったものか悩んで、結局は『共通の知人』という無難な話題に落ち着く。
 フレッドは首をひねった。

「仲がいい……んでしょうか。面倒は、見てもらっています」
「確かに、面倒くさがりなようで人の世話を焼くのが好きな方ですからね」
「はい。色んなことを教えてもらいました」
「あんな森の奥で暮らすのは大変でしょう」

 フレッドは黙って曖昧に頷いた。
 詮索しているように取られたかもしれない。ルイスは自分の話に舵を切った。

「実は、この間は森で落とし物をしてしまったんです。それで引き返したところを、道に迷ってしまって……」
「そうだったんですか」
「森は昼と夜では景色が変わると言い聞かされてはいましたが、改めてそのことを実感しました。どこでいつもの道から外れてしまったのかもわからないんです」
「昼間は見落とすはずがないと思っていた小道や目印も、日が落ちると途端に見えなくなってしまいますからね」
「そうなんです。そんな真っ暗な中でも君の家まで連れて行ってくれたんですから、フレディはほんとうにお利口ですね」
「…………」

 フレッドは少しうつむいて、残り少ないタルトをつついた。しかしその沈黙は決して気まずいものではなく、どこか誇らしげな空気さえ見て取れた。

「あ、それに、その落とし物は朝になったら君の家の前に落ちていたんです。そんなところで落としたはずがないのに。フレディが見つけて、拾ってきてくれたのでしょうか」

 フレッドは「どうでしょう」と首を傾げた。

「でも見つかってよかったですね。大事な万年筆だったんでしょう」
「ええ、それはもう」

 ルイスは彼の言葉に頷いてから、ふと違和感を覚えた。

「……どうして、僕が落としたのが万年筆だと?」

 純粋に疑問に思ってそう尋ねると、彼は表情を凍りつかせた。

「も、モランから……」
「……モランさんにも、話していません。兄さんたちにも、街の人達にも、『道に迷った』としか説明していません。知っているのは……」

 その続きを口にするより早く、フレッドが弾かれたように立ち上がった。皿の上に放り出されたフォークがカチャンと耳障りな音を立てる。

「ごめんなさい、帰ります。ごちそうさまでした」

 彼は早口にそれだけ言うと、逃げるように裏口の方へ走っていった。呼び止める暇もなかった。
 ルイスはどこか途方に暮れた気持ちで、彼が出ていった後も暫くの間、裏の木戸を眺めていた。
 花壇のレンガの上に水色の布のかたまりがあるのに気がついた。彼が巻いていたストールだ。
 作業中に外して、そのまま忘れていったのだろうか。そういえば途中から付けていなかった気がする。
 ルイスはストールを拾い上げた。
 今から追いかければ、おそらく、間に合う。
 それでも、足が動かなかった。
 これをこのまま持っていれば、また明日、彼が訪ねてきてくれるかもしれない。そんなずるい期待が頭を過ぎったが、ルイスはため息をついてストールを丁寧に畳み直した。

(……明日、モランさんに渡そう)

 彼はなぜ、ルイスが万年筆を落としたことを知っていたのだろう。森に落ちていたのを拾ってくれたのがフレッドだったとしても、誰のものかは分からなかったはずだ。
 そして、ルイスが万年筆のことを話したのはあの狼犬だけだ。彼はどこかであの独り言ともつかない言葉を聞いていたのだろうか? 盗み聞きをしていたことがばれてきまりが悪くなったから、逃げるように帰っていってしまったのか? そもそも、彼はあの夜どこにいたのだろう?
 分かりそうで、分からない。
 しかし、一つだけ、たしかな糸口があった。
 冷めきったお茶と皿に残されたタルトを片付けながら、ルイスはその糸を手繰ることを心に決めた。

初出:Pixiv 2022.11.17

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