No.18
凍て星
本編数年前のお話。
モランが酒場を出ると、猫の鳴き声が聞こえた。
こんなところに珍しい、と声の方に視線をやると、空き地の草むらの中にフレッドが座り込んでいたのでモランはぎょっとした。
「おい、フレッド」
モランがずかずかと近づいていくと、フレッドの足元にまとわりついていた猫が逃げ出した。モランが情報収集のために酒場に入り、フレッドと別れたのは二時間ほど前だ。それからずっとこの寒空の下で猫を構っていたのか。
彼の腕にも、ストールに包まれた黒猫が抱かれている。モランは呆れてため息をついた。
「寒いのに何やってんだ。先に戻ってろっつったろ」
「……」
「そいつももう放してやれ」
フレッドは反応しない。
彼の腕の中の猫も、先ほどからぴくりとも動かなかった。眠っているのかと思ったが、野良猫がこんな状況でぐうすか寝ているはずもない。
フレッドが身動ぎしても、猫は前足を中途半端に上げた格好のまま微動だにしなかった。
「……死んじまってるのか?」
もしやと思って尋ねると、フレッドは小さくうなずいた。
「寒そうに、してたから……温めようと思ったけど、駄目だった」
言いながら、それでも諦めきれないようで、フレッドはしきりにストールの上から猫の身体をさすっていた。その指先も、冷えて真っ赤だった。
「ちょっと見せてみろ」
フレッドの隣にかがみ込んで、猫に手を伸ばす。小さな口を指でこじ開けると、フレッドは驚いてモランの腕を強く引いた。
「何やってるの」
「よく見てみろ。こいつ、歯が欠けてるだろ」
「……病気、だったの?」
「違う。年寄りだったんだ。人間と同じで、猫も年を取ると歯が悪くなるんだよ」
歯の抜けたじいさん見たことあるだろ、と問いかけると、フレッドはきょとんとしながらうなずいた。
「寿命だったんだ。仕方ない。最期にお前が抱いててくれて、嬉しかったろうよ」
モランはフレッドの小さい頭に手を載せた。
髪をわしゃわしゃとかき混ぜてやってようやく、彼は少しだけ表情を歪めた。赤くなった鼻をすんと鳴らして、もう一度猫をぎゅうと抱きしめた。
「埋めてやろうぜ。向こうの公園ならちょうどいいだろ」
モランの提案に、フレッドは首を横に振った。「ここに埋める」と宣言する声は、消え入りそうに頼りなかった。
この空き地でも、確かに穴を掘って猫の遺骸を埋めることはできるだろう。しかし空き地は空き地だ。伸び放題の草むらの影にはゴミが散乱している。埋葬するなら静かな公園の木の下の方が……と考えたところで、フレッドがじっと明後日の方向を見つめているのに気がついた。
その視線の先を追うと、向こうの路地の暗がりに、黄色い光が二つ浮かんでいた。先ほど逃げていった猫が、こちらをうかがっているのだ。
死んだ猫とよく似た黒猫だった。親子か、兄弟だろうか。
「……そうだな、遠くに埋めたら気の毒だ。野犬がきて掘り返すといけねぇから、そこの酒場の親父にスコップ借りてきてやる。ちょっと待ってろ」
立ち上がりざまに、モランはコートを脱いで、フレッドの頭からばさりと被せた。「うわ」と小さな声が上がった。
« No.17
/
No.19 »
Novels Top
expand_less
本編数年前のお話。
モランが酒場を出ると、猫の鳴き声が聞こえた。
こんなところに珍しい、と声の方に視線をやると、空き地の草むらの中にフレッドが座り込んでいたのでモランはぎょっとした。
「おい、フレッド」
モランがずかずかと近づいていくと、フレッドの足元にまとわりついていた猫が逃げ出した。モランが情報収集のために酒場に入り、フレッドと別れたのは二時間ほど前だ。それからずっとこの寒空の下で猫を構っていたのか。
彼の腕にも、ストールに包まれた黒猫が抱かれている。モランは呆れてため息をついた。
「寒いのに何やってんだ。先に戻ってろっつったろ」
「……」
「そいつももう放してやれ」
フレッドは反応しない。
彼の腕の中の猫も、先ほどからぴくりとも動かなかった。眠っているのかと思ったが、野良猫がこんな状況でぐうすか寝ているはずもない。
フレッドが身動ぎしても、猫は前足を中途半端に上げた格好のまま微動だにしなかった。
「……死んじまってるのか?」
もしやと思って尋ねると、フレッドは小さくうなずいた。
「寒そうに、してたから……温めようと思ったけど、駄目だった」
言いながら、それでも諦めきれないようで、フレッドはしきりにストールの上から猫の身体をさすっていた。その指先も、冷えて真っ赤だった。
「ちょっと見せてみろ」
フレッドの隣にかがみ込んで、猫に手を伸ばす。小さな口を指でこじ開けると、フレッドは驚いてモランの腕を強く引いた。
「何やってるの」
「よく見てみろ。こいつ、歯が欠けてるだろ」
「……病気、だったの?」
「違う。年寄りだったんだ。人間と同じで、猫も年を取ると歯が悪くなるんだよ」
歯の抜けたじいさん見たことあるだろ、と問いかけると、フレッドはきょとんとしながらうなずいた。
「寿命だったんだ。仕方ない。最期にお前が抱いててくれて、嬉しかったろうよ」
モランはフレッドの小さい頭に手を載せた。
髪をわしゃわしゃとかき混ぜてやってようやく、彼は少しだけ表情を歪めた。赤くなった鼻をすんと鳴らして、もう一度猫をぎゅうと抱きしめた。
「埋めてやろうぜ。向こうの公園ならちょうどいいだろ」
モランの提案に、フレッドは首を横に振った。「ここに埋める」と宣言する声は、消え入りそうに頼りなかった。
この空き地でも、確かに穴を掘って猫の遺骸を埋めることはできるだろう。しかし空き地は空き地だ。伸び放題の草むらの影にはゴミが散乱している。埋葬するなら静かな公園の木の下の方が……と考えたところで、フレッドがじっと明後日の方向を見つめているのに気がついた。
その視線の先を追うと、向こうの路地の暗がりに、黄色い光が二つ浮かんでいた。先ほど逃げていった猫が、こちらをうかがっているのだ。
死んだ猫とよく似た黒猫だった。親子か、兄弟だろうか。
「……そうだな、遠くに埋めたら気の毒だ。野犬がきて掘り返すといけねぇから、そこの酒場の親父にスコップ借りてきてやる。ちょっと待ってろ」
立ち上がりざまに、モランはコートを脱いで、フレッドの頭からばさりと被せた。「うわ」と小さな声が上がった。