No.16

chapter 7:事件の顛末

 数日後、モランは居間で新聞を読んでいた。
 『贋金づくりの一味逮捕――貧民街での恐るべき犯罪』という見出しで始まる記事だ。

「『廃材を拾いに工場跡地へ行った仲間が戻らないことを不審に思い、貧民街の孤児が巡回中のホワイトチャペル署の警官に訴えでた。ザック・パターソン巡査はこの小さな市民の要請に応じ、足を踏み入れた廃工場で偶然にも贋金づくりの現場を取り押さえるお手柄。』……なんだよ、結局パターソンの奴が手柄総取りかよ」

 廃工場での一件は、じつに呆気ない形で処理された。
 モランたちが廃工場に忍び込んだのと同じ頃、ウィリアムの指示で、ヒルダが警官を呼びに走った。
 もちろん彼女は、パターソンがウィリアムの息のかかった警官であることは知らない。たまたま話のわかる警官に行き当たって、彼が廃工場に潜んでいた犯罪者たちを取り押さえ、メイナードを保護してくれたと信じている。

「事が事だけに、警察で処理してもらうのが一番だったからね。フレッドが撃ってしまった弾については『犯人を取り押さえるため警官が発砲した』ということにしてしまえば、何も問題ないでしょ?」

 ウィリアムはちょっと首を傾げながら、そう言って笑った。
 確かに、贋金づくりの一味のうち一名は抵抗したためやむを得ず射殺されたと報道されている。

「連中が仲間割れした設定はどこ行ったんだよ。パターソンが撃ったことにしなくても、逃がした奴の仕業にしちまえば」
「拳銃を持った殺人犯が逃げたことにしちゃったら、それこそ大騒ぎじゃないか」
「……まぁ、確かに」
「パターソンには面倒をかけてしまったけど、これを機に本庁への栄転の話も上がっているみたいだし、悪くない結果じゃないかな」

 つまり、ウィリアムは二つの筋書きを用意していたというわけだ。
 犯人グループからあえて一人を逃がして仲間割れがあった事にしてしまうプランAと、現場に駆けつけたパターソンが連中を取り押さえた事にするプランB。ウィリアムはプランAで進める方針であったが、結果としてはフレッドの乱入によってその両方を取り入れる形となった。
 細かく調べられれば不自然な点が見つかるかもしれないが、警察や世間の関心は射殺の正当性云々よりも『造られた贋金が街に出回っていないか』の一点だろう。
 モランは記事の続きを読み上げる。
 犯人グループの中から一名、現場から逃げ出した者がいる。スコットランドヤードが全力で捜索にあたっているが、いまだ逮捕には至っていない。
 また、同日深夜、貧民街の一角から火の手が上がった。小火で済んだものの、明らかに放火の痕跡があった事、被害にあったのが贋金事件に関わった孤児たちがねじろにしていた廃屋であった事から、逃げた男が報復として火を放ったのではないかと推測される。

「『幸い子供たちに怪我はなく、現在はスコットランドヤード庁舎にて保護されている。逃げた男の行方は、ヤードが総力を挙げて捜索中。ロンドン市民の皆様はくれぐれも用心を』……とまぁ、こんなところか」

 モランは、横から真剣な面持ちで紙面を覗き込んでいるフレッドを見やった。
 最低限の読み書きはできるようであるが、新聞記事のようなまとまった文章を読むのはまだまだ難しいらしい。読めないくせに、モランが読み上げてやっている内容に嘘偽りがないか確かめようと必死になってわかる単語を拾っているのだ。
 彼は事件以降、モリアーティ家で匿われていた。ガラスで切った傷が治りきらないので手足はまだ包帯だらけだったが、熱が下がったおかげで頬には子供らしい赤みがさしている。
 
「火事って……」
「それもウィリアムの差し金だ」

 もちろん、万が一にも逃げ遅れる者が出ないよう、事前にヒルダには子どもたちを起こしておいてもらっていた。
 普通であれば貧民街での小火など大した騒ぎにはならないが、逃走中の犯罪者による放火の可能性が浮上すれば話は別だ。パターソンと、一足先にヤードに保護されていたメイナードのおかげで二つの事件は結びつき、焼け出された子どもたちは首尾よくスコットランドヤードの保護下に入ったというわけだ。

「後の事も心配しなくていい。もうすぐさる慈善家が、彼ら全員が孤児院に入れるように融通してくれるだろうからね」
「……アルバート、その人の善意につけこむやり口はどうなんだ?」
「さぁ、何のことだか?」

 若き伯爵家当主は、モランの言葉などどこ吹く風といった様子で優雅にカップを傾けた。
 『さる慈善家』とは、少し前まで彼ら兄弟の後見人をつとめていたロックウェル伯爵の事である。
 アルバートは昨夜伯爵のもとを訪ねていって、世間話として、新聞を騒がせているこの事件の話をした。焼け出された孤児、と聞いて、かつて自分たち兄弟に降りかかったあの痛ましい火事を思い出してしまった。彼らを他人とは思えない、不憫でならないので何かしてやれる事はないだろうか……と。
 人のいい伯爵はその言葉に大いに胸を打たれ、それならば寄付をしている孤児院に当てがあるから手配しよう、と請け負ってくれたのだ。

「フレッド。僕らとしては、君にも彼らと同じ孤児院に入ってほしかったんだけど……」

 ウィリアムが言った。
 新聞報道では、フレッドについてはほとんど触れられていない。逮捕された犯人たちですら彼の行方を知らないのだ。これも逃げた一人に疑惑がかかるところではあるが、実際死体が見つかったわけでもないので『行方不明』として処理されている。
 フレッドが今もこうして生きていることは、ヒルダやメイナードすら知らなかった。おかげでパターソンは、子どもたちから「早くフレディを見つけてくれ」と毎日のようにせっつかれて参っているようだった。
 しかし、フレッドは硬い表情で首を振った。

「人を撃ちました。皆と一緒には……」
「それじゃ、ヒルダさんからの依頼が果たせなかったことになってしまうな」
「パターソンから聞いたが、そもそも銀貨を盗んだのはメイナードなんだろ?」

 入り込んだ廃工場の中で、幸か不幸か誰にも出くわすことなく見つけてしまったらしい。これだけあるならバレることもないだろう、と彼は銀貨を一掴み持ち出してしまったのだ。
 
「……僕が、返しに行こうって言った。だからメイナードが捕まって、こんなことになったのは僕のせい」
「廃工場に引き返したのですか?」

 ルイスの問いに、フレッドは頷いた。
 メイナードがポケットに詰め込んだ銀貨を見せてきた時点で、フレッドも贋金とは想像しなかったらしい。しかしそもそも廃墟に大金があること自体が異常である。明らかに普通の金ではないのだから持っていては危険だと、渋るメイナードを説き伏せて廃工場へ引き返したという。
 おそらく二人とも大金を前にして動転していたのだろう。身の安全を最優先するなら、テムズ川にでも投げ捨ててしまえばよかったのだ。

「それでも、君たちの行動がなければ街に贋金が出回っていた。本当にたいへんなことになるところだったんだよ。背後関係は市警が洗っているところだけど、どうやら君が撃った男は英国人ではなさそうだ。治安判事たちも、犯罪者から友達を助けようとした君に同情こそすれ、牢に入れるようなことはまずありえないだろう。ロンドン中の市民がきっと君の味方になる」
「…………」

 ウィリアムが甘い言葉をぶら下げてみても、フレッドは黙ったままだった。

「おい、このまま出ていかなければお前は世間的に死んだも同然だ。それでいいのか?」

 モランは思わず口を出していた。仲間から離れて、人殺しの業だけを背負ったままたった一人で生きていくのはあまりに酷に思えた。しかしフレッドは、透明な無表情のままだった。

「……エディが、煙突の中で焼け死んだとき」

 彼は言葉を慎重に選びながら、ぽつりぽつりと語り始めた。

「煙突掃除屋の親方とその家の住人が、大声で言い争っていました。エディの死体を取り出すには壁を壊さないといけないから、どちらがお金を払うのか、って。僕らはそれを、屋根の上で聞いていました」

 ウィリアムのカップに紅茶のおかわりを注ごうとしていたルイスも、手を止めて耳を澄ませていた。

「ヒルダにも、会ったんですよね。あの子は八歳のときに紡績工場に奉公に出されて、一生懸命働いたけど、機械に腕を巻き込まれてしまいました。それで、あんなふうに……。まともに働けなくなって、工場をくびにされました。
 『家がうんと遠いところにあるから、帰りの列車賃が足りないんだ』って笑ってましたけど、僕は嘘だって知ってました。口減らしで奉公に出されたから、家に帰っても邪魔ものにされるだけだって」

 生きているのに、生きている者として扱ってもらえない。それが彼の見てきた地獄だった。
 フレッドは顔を上げて、一同を見回した。おずおずと控えめな仕草だったが、その幼い相貌にはどこか決然とした表情が浮かんでいる。

「皆が、これから普通に暮らせるなら、僕はそれでいいです」
「…………」
「人を殺したのに、皆と同じようには暮らせません」
「そう」

 ウィリアムは軽く頷いた。そうして、何でもないような調子で、深く切り込む。

「逃げた男の行方を追うつもりなんだね」

 フレッドはハッとしたように目を見開いた。瞳におそれに似た色の影が過ぎる。

「そうだね。奴は、計画を台無しにした君の仲間たちに復讐をしようと考えるかもしれない。特にメイナードははっきりと顔を知られてしまっているからね。市警もその事は当然考慮しているけれど、いつまでも守ってくれるわけじゃない」

 緋色の瞳に射抜くように見つめられて、フレッドが椅子の上で身を縮ませた。隣に座るモランにも、その震えが伝わってくるようだった。
 報復。
 贋金づくりが行われていることを知らなかったとはいえ、『迷い込んだ孤児たち』が廃工場に市警を呼び込むきっかけを作ったことに変わりはない。理不尽な怒りの矛先が彼らに向かないとは言い切れなかった。
 その可能性を、モランも考えなかったわけではない。当然、ウィリアムだって『後始末』の策を練っているに違いない。けれどそれはこちら側の仕事であって、フレッドがこれ以上危険を冒す必要はどこにもない。
 「馬鹿げてる」とモランは呻くように漏らした。

「敵が逃げた一人だけとは限らねぇ。贋金づくりなんて大それた犯罪、それなりの組織が背後についてたはずだ。ガキがのこのこ首突っ込んだところで、あっという間に殺されてテムズ川に沈められるのがオチだ」
「それでも、」
「それでも、やる?」

 ウィリアムの涼しげな声がするりと滑り込む。

「闇に潜った犯罪者たちを見つけ出して、事を起こす前に押さえるなんて、それこそ英国中の犯罪ネットワークに通じでもしない限り到底無理な話だよ。それを、明日食べるパンひと切れを手に入れるのもやっとの君が?」
「…………」

 フレッドは目に涙を溜めて、しかしそれでも否とは言わずに床を睨んだ。その頑なな態度に、モランはまた声を荒げそうになった。が、ちらりとこちらを見上げたウィリアムと目があって、言葉を飲み込んだ。
 厳しい言葉とは裏腹に、ウィリアムはどこか楽しそうな、愛しいものでも見るような笑みを浮かべていた。モランには、その表情に見覚えがあった。

「そうだ、ルイス。あの枝が折れた庭の木はどうしたのかな?」

 ウィリアムが唐突に話題を転換した。話を振られた弟はほんの少し目を泳がせながら、言葉を探しているようだった。

「えっと……そういえば、折れたままでした。すぐに庭木屋に連絡しますね」
「うん、そうだね。お願いするよ。折れたままにしておくのはよくないからね。でも、こんな時すぐに対応してくれる使用人がいると助かると思わないかい?」

 問いかけるように語尾を上げておきながら、ウィリアムの言葉は問いかけではなかった。その意味を測りかねて、ルイスの紫がかった紅い瞳がぱちぱちと瞬いた。
 ウィリアムは「ふふ」と息だけで笑いながら、紅茶のカップに手を伸ばした。そうして気軽な雑談のような調子で、今度は兄に向けて微笑みかけた。

「アルバート兄さん、どうでしょう。庭師をひとり雇ってみるというのは?」

[newpage]

[chapter:新しい使用人]

「モラン」

 裏庭で煙草をふかしていると、植木の影からフレッドがひょっこりと顔を出した。

「おう、どうした」
「これ」

 フレッドが差し出したのは、紙ナプキンに包まれた焼き菓子だった。

「アルバート様にいただいた」
「へぇ、よかったじゃねぇか」

 ウィリアムが彼を新しい使用人として迎え入れたいと言い出した時はアルバートもルイスも驚いていたが、この幼いながら物静かで素直な働き者を二人が気に入らないはずもなかった。フレッドもフレッドで、受けた恩に報いるにはいくら働いても働き足りないといった勢いで屋敷の仕事に精を出している。おかげでモランはここ数日少々肩身が狭かった。
 それにしても、基本的に弟たち以外眼中に無いアルバートがずいぶん打ち解けたものだ、と感心しながら煙草をふかした。

「……」
「……」

 沈黙が流れる。
 フレッドはまだ何か言いたげに紙ナプキンを差し出している。もしやと思って「俺にくれるのか?」と尋ねると、彼はこくりと頷いた。

「ウィリアムさんとルイスさんの分は別に取ってあるって」
「……そうか」

 アルバートはおそらく、「弟たちの分はあるから遠慮せずに食べなさい」と言いたかったのではないだろうか。菓子を配分するにあたって彼がモランを頭数に入れているとは思えないし、モランだって別にその事に腹を立てたりはしない。
 三兄弟と同じテーブルについて食事をする事に、フレッドは毎回ひどく恐縮していた。主人であろうと使用人であろうと、階級に関わらず分け隔てなく扱うことがモリアーティ家の方針だ。当然食事も皆で一緒に取るし、メニューに差を付けられることもない。
 しかし生まれてこの方しみったれた食事にしかありついてこなかったであろうフレッドには、貴族と同じテーブルで食事をするなど気詰まりでしかない。食事の席のフレッドは無作法にならないよう周りの手付きを真似ようと真剣だったし、それに気づかない顔をしながら殊更ゆっくりとした動作でナイフとフォークを使う三兄弟がモランには可笑しかった。
 弟たちと別に菓子を与えたのは、お茶の時間まで同席させるよりも一人で気楽に食べた方がいいだろうというアルバートからの配慮に違いない。おそらくウィリアムやルイスも同じことを考えただろう。
 しかしどうやらフレッドは、アルバートの言葉を「君はモランと分け合って食べなさい」と解釈したか、モランだけがお菓子を貰えないのはかわいそうだと考えたかしたようだった。
 フレッドがこちらを見下ろしながらじっと待っているので、モランは仕方なく焼き菓子をひとつつまんだ。別に欲しくもなかったが、彼の厚意を無碍にすることもない。
 モランが菓子を口に運んだのを見て、フレッドもモランの隣に腰をおろした。丸かったり四角かったり、ココアが練り込まれていたりする焼き菓子をひとつひとつ吟味して、これと決めたものを慎重な手つきでつまみあげる。
 さくさくと菓子をかじる横顔はいつもの無表情ながらもどこか嬉しげだった。
 甘いものを食べる機会などほとんどなかったはずだ。ひとり占めしたって誰も咎めないというのにわざわざモランを探すなど、こんなに気が優しくてよく今まで生きてこられたものだ。
 きっとあのあばら家でもそうだったのだろう。僅かな食べ物を仲間たちと分け合って、最後に自分の分が残っていなくても、じっと黙って耐えているような。

「甘。煙草にはあわねぇな……。俺はもういらないから、後はお前が食ってくれ」
 
 フレッドはぱちくりと目を瞬かせた。

「いらないの?」
「おう。俺はこっちの方が好きだ」
「……美味しいの?」
「吸ってみるか?」
「いらない」

 そっけない。
 もう少し愛想よくしてくれてもいいと思うのだが、大人に甘えられるような環境にいなかったのだから仕方のない話だ。
 フレッドは菓子をかじりながら、庭の隅のトネリコの木を見つめていた。先日、彼が屋敷から脱走する際に足場に使った木だ。
 今は折れた枝には癒合剤が塗られ、麻布が巻かれている。ルイスが呼んだ庭木屋に見守られながら行った、新任庭師の初仕事だった。やはりフレッドは相当に身が軽いらしい。脚立の高さが少々足りなくとも、てっぺんで立ち上がって危なげなく作業をこなしていた。
 
「気にすることないぞ。枝が一本折れただけで木がダメになったりはしない」

 どうやら当たりだったようだ。フレッドはぱっとモランの方を向くと、少しだけばつが悪そうに口をへの字に曲げた。
 ああいう場所で育った子供の例に漏れず表情に乏しいたちであったが、ここ数日で多少なりとも顔色を読めるようになったように思う。

「……元に戻る?」
「そのうち元気になるさ。人間と同じだ」
「人間は元通りにはならないよ」

 フレッドはちらりと横目でモランの右手を見た。
 モランとしては「時間が経てば良くなる」という意味で言ったつもりだったのだが、ずいぶん生々しい捉えられ方をしてしまったようだ。

「……まぁ、そうだな。木だって前と全く同じ枝が生えてくるわけじゃない。でも生きてさえいりゃ、元通りとはいかなくとも、新しい芽が出てくるもんだ」
「……うん」
「ところでお前、怪我はもういいのか」
「うん」
「肩は?」
「動く」

 フレッドは右腕をぐるりと回してみせた。

「ならいい。でも、もっと食って身体作らないとな。銃撃つたびにいちいち後ろにひっくり返ってたら身が保たねぇぞ」

 からかったつもりだったが、フレッドはこくりと頷いた。その真面目くさった表情に思わず苦笑しながら、モランは足元の煉瓦に吸い殻を擦り付けた。
 ウィリアムからは直々に彼の新人教育を言いつけられている。彼に充分な素質があることは先の事件でよく分かっていた。教育を受ける機会に恵まれなかっただけで物覚えは悪くないし、度胸もある。特に運動神経は相当なもので、ジャックに見せるのが今から楽しみなくらいだ。
 戦闘術や銃の扱いは教えてやれる。しかし、彼の目指す英国一の情報屋になるための道筋は、モランにもまださっぱり見当がつかなかった。それについては、これから共に模索していくしかないのだろう。

「あ、そうだ。これも言っとかねぇとな」

 ポケットから新しい煙草を取り出しながら、モランは付け足した。

「今後は困ったらまず俺を頼れ。一人で無茶はするな。こないだみたいなのは絶対にナシだ」
「……こないだ?」

 フレッドは首を傾げたが、ややあって、一人で廃工場に突撃したことを言っているのだと気付いたようだった。

「あの時は、モランが強いことも、ウィリアムさんがあんなにすごいことも知らなかったし。それに……」
「それに?」
「助けて、くれたから……」
「は?」

 助けてくれたから、頼れなかった?
 一瞬言葉の意味を図りかねたが、この少年の優しい性格を考えればすぐに答えは出た。
 巻き込みたくない、と思ったのだろう。危険な連中から自分を救ってくれたモランや、温かい食事とベッドを与えてくれたこの屋敷の兄弟たちを。
 思わず、呆れとも感心ともつかないため息が漏れた。

「わかった。でも、これからはもう変な気ィ回すなよ。お前と俺とは兄弟分なんだからな」
「兄弟……」
「何だよ、文句あるか?」

 フレッドが不思議そうにこちらを見上げる。その頭を軽く小突いてやると、彼は二、三度ゆっくり瞬きした。それから、小さく首を振った。

「……兄弟、いいなって思ってた」
「そうか」

 モランが片頬を上げて笑うと、フレッドはくすぐったそうに目を伏せた。モラン自身は、ウィリアムたちの関係を羨ましいと感じたことはない。それでも何故だか、フレッドの言葉は心の中にストンと落ちてきた。
 さて、何から始めようか。
 黙々と菓子を頬張りはじめた彼の小さい頭を眺めながら、マッチを擦って新しい煙草に火をつけた。

初出:Pixiv 2022.06.11

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