No.15

chapter 6:銃声

 モランとウィリアムは、日没と同時に廃工場へ踏み込むことにした。
 日暮れまでの僅かな時間、ヒルダを始めとする子供たちには、廃工場には近付かないよう言い含めた上でフレッドを捜索させた。彼だけでも抑えられればと考えていたが、とうとう彼は見つからなかった。
 どこかに身を隠しているかもしれなかったし、屋敷からここまで子供の足ではまだ辿り着けないだけという可能性もある。後者であることを祈った。
 問題の廃工場は、まだ辛うじて操業を続けているらしい工場と打ち捨てたれた廃墟とが交互に並んでいるような場所にあった。
 割れっぱなしの窓ガラスからして、明らかに長らく放置されている様子だったが、裏口付近のぬかるんだ地面には真新しい轍がいくつも刻まれていた。車輪の幅は広く、ウィリアムの親指ほどの深さがある。かなり重量がある何かが運び込まれた痕跡だった。

「そろそろ行こうか」

 ウィリアムが腰を上げた。夕食でも食べに行こうとしているような、軽い調子だった。モランはベルトに挿したリボルバーの感触を確かめた。

 門の側を、煙草をふかしながら歩く男がいた。
 フェルトの帽子の下から、伸び放題の髭と髪が顔を覆っている。この工場の従業員、というわけではなさそうだ。
 暗がりの中ではあったが、背中を丸めて足を引きずるような覇気のない歩き方には覚えがあった。昨夜フレッドを追い回していた男の一人だ。
 一人で見張り番をしているのか、たまたま相方が外しているのかはわからない。モランは周囲に人の気配がない事を確かめると、さっと飛び出してリボルバーのグリップで男の後頭部を殴りつけた。
 ウィリアムが「さすが」と小さくつぶやいた。
 昏倒した男は物陰に引きずり込んで縛っておいた。持ち物を簡単に検めてみたが、出てきたのは煙草や小銭くらいで、鍵の類は持っていなかった。
 辺りを探っていたウィリアムがするりと戻ってきて、モランの腕を叩いた。

「あっちから入れそうだ」
 
 ウィリアムの指差す先には通用口があった。錆びた蝶番がきしんで嫌な音を立てた。
 一階の大部分は作業場になっていて、その周りを長い廊下がぐるりと取り囲んでいるようだ。モランとウィリアムはそっと内扉を開けて、作業場に潜り込んだ。廊下をまっすぐ進んだのでは、敵と鉢合わせたとき隠れる場所がないからだ。幸いなことに、作業場は工員たちの働きぶりを監視するためか、ほとんど全面に大きなガラス窓が取り付けられている。
 煤けて曇ったガラス越しに廊下の様子を伺いつつ、大型機械や作業台の影を踏みながら進んでいくと、作業場の奥に薄い光が見えた。廊下を挟んだ反対側にドアがあって、そこから明かりが漏れているのだ。モランはより一層慎重に、明かりの方へにじり寄った。
 部屋の中から、数人の話し声がする。
 そう広くはない部屋だが、机と椅子が何組か揃っていて、壁には黒板とボロボロの羊皮紙が貼り付けられているのが見えた。おそらくは事務室か何かだったのだろう。
 事務長よろしく奥の椅子に腰掛けていた赤ら顔の男が、苛立たしげにコツコツと机を叩いた。

「……まだ見つからないのか?」
「すみません、どうにもはしっこい奴で、昨夜は邪魔も入ったもので」
「あんなガキがヤードに訴えでたところで、何ともありゃしませんよ……」
「ばか野郎!」

 乱暴に机を叩く音が響いた。

「あのガキが金が手に入ったと浮かれてパンでも買いに行ったらどうするんだ!? どんな間抜けでも商売人なら、みすぼらしいガキが銀貨を持って買い物にきたら怪しむに決まってるだろうが。どこから盗んできやがった、そもそも本物か?ってな。それでガキがしょっぴかれて贋金が表に出ちまったらどう始末をつけるつもりだ!」

 リーダーらしき男は尚もわぁわぁと喚いている。
 モランはウィリアムに「まだ聞くか?」と視線を送ってみたが、彼は苦笑して首を振った。ひとつ頷き返して、モランは中途半端に開きっぱなしだった扉を蹴り開けた。
 誰だ、と狼狽えた声が上がる。室内には三人。
 ヒュッと空を切る音が響いて、机の上のランタンが音を立てて割れた。ウィリアムの投げた石が命中したのだ。
 室内は暗闇に包まれたが、明かりが消える一瞬前に男たちの立ち位置と家具の配置は記憶した。モランは一番手前に立っていた一人の鳩尾に拳を叩き込んで、素早く昏倒させた。

「この……!」

 ガチ、と金属音が響いた。部屋の奥に立っていた、リーダーらしき男の方だ。
 僅かな音だったが、聞き間違えるはずもない。撃鉄を起こす音だ。敵味方入りまじった暗闇の中で発砲する馬鹿がいるものかと思いたかったが、そう利口な方ではなかったらしい。
 これにはウィリアムが素早く反応し、音のした方に向けて第二投を放った。
 鈍い音と短い悲鳴。これも命中だ。
 その隙を逃さず、モランは銃を取り落とした男を埃のかぶったソファへ押し倒し、ナイフを振りかぶる。
 鈍い手応えがあった。倒れた男の体がびくりと強張って、やがて弛緩した。力の抜けた手がだらりと床に落ちる。残る一人の男から「ひいっ」と情けない悲鳴が上がった。
 次はお前だ、と言わんばかりに声のした方を睨みつけてやると、彼はウィリアムの脇をすり抜けて、どたどたと大慌てで逃げていった。

「……いいのか、追わなくて?」

 倒れたランタンから燃料が漏れていないことを確認しているウィリアムに尋ねると、彼は首を振った。

「いいよ。全員逮捕させちゃったら、第三者が介入したことが明らかになってしまうからね。一人逃して、仲間割れがあったという事にしてしまおう」
「俺たちは裏切り者が金で雇ったゴロツキってところか」

 モランはソファの座面からナイフを引き抜いた。
 顔の真横に勢いよくナイフを振り下ろされた男は、だらしなく気絶している。先ほど逃げていった男からは、部屋の暗がりも相まって無惨に刺し殺されたようにしか見えなかっただろう。
 持ち込んだランプに明かりを灯して、モランは改めて部屋の中を見回した。男たちはここを詰所にしていたらしい。引き出しが一段抜き出されて、トレイ代わりに机の上に放り出されていた。中には銀貨が無造作に詰められている。

「これ全部贋金か?」
「うん……暗くてよくわからないけど、そうだろう。さっきの作業場を探せば鋳型が見つかるかもね」
「メイナードは……見当たらないな」
「工場なら、鍵の掛かる倉庫があるはずだ。あとは出入り口が限定される地下か上階か……」

 そうウィリアムが口にした直後、頭上で物音がした。ガラスの割れるような音と、どたばたと床を踏み鳴らす音。
 
「上みたいだ」

 モランはウィリアムに先立って廊下へ飛び出した。幸いなことに、二階へ登る階段は事務室のすぐ隣にあった。数段飛ばしで駆け上がると、先ほどの事務室のちょうど真上に部屋があった。

「……この、クソガキが!」

 部屋に踏み込むなり、罵声が響いた。
 男が一人、こちらに背を向けて床にうずくまっている。先ほどの物音は、彼が転倒した際のもののようだった。腰の辺りに手をやって呻いている。
 彼のすぐ側に子供が倒れている。
 フレッドだった。
 窓を割って部屋に飛び込んだらしく、ガラスの散乱した床の上を転がって傷だらけになっている。白いシャツに血が滲んで見るも痛ましい姿だった。
 けれどモランが状況を把握するより早く、フレッドは動物じみた機敏さで体勢を立て直した。
 床に拳銃が落ちている。おそらくは贋金づくりの男のものだろう。
 フレッドはそれを引っ掴むと、胸の前で構えた。

「待て、フレッド!」

 咄嗟に、モランは叫んでいた。
 即座に飛び出して男を伏せさせるか、フレッドを直接抑えるかすれば、あるいは最悪の事態を防げたかもしれない。
 しかしモランの後ろにはウィリアムがいた。モランたちがいる戸口は射線から外れてはいたが、子どもが見様見真似で発砲すればどこに弾が飛ぶかわかったものではない。
 今自分が動けば、背後のウィリアムが被弾するかもしれない。その考えが、モランの足を地面に縫い止めた。
 がん、と轟音が天井を揺らした。
 立ちつくした男の口から、「あ……?」と意味のない呻き声が漏れた。一拍遅れて、その体がぐらりと傾ぐ。モランはすぐさま部屋に飛び込んで、発砲の反動でひっくり返っていたフレッドの手から拳銃を取り上げた。
 弾丸は、男の眼窩に吸い込まれていた。背後の壁には彼の脳漿が散っていて、即死であることがすぐに見てとれた。
 
「……フレッド」

 身を起こそうとした彼は、痛みに顔を歪めた。
 子供の腕で、しっかり構えず発砲したからだろう。銃身が跳ね上がった勢いで右肩を脱臼しているようだった。
 モランはフレッドを助け起こそうとしたが、彼はこちらには目もくれず、部屋の隅に這いずっていく。
 朽ちかけたデスクの裏に、縛り上げられた少年が転がっていた。ひどく殴られたようで、顔は腫れ上がって切れた唇から血が滲んでいる。首の後ろ辺りには、煙草でも押し付けられたのだろう、真新しい火傷の跡がいくつもあった。
 おそらく彼がメイナードなのだろう。

「うぅ……、う、」

 フレッドが、横たわった少年に縋りついて静かに嗚咽を漏らした。モランは一瞬ひやりとしたが、彼の胸はかすかに上下している。
 まだ生きている。
 モランは胸をなで下ろしながらメイナードの拘束を解いた。その間も、フレッドは泣き続けていた。彼の涙が友を失わずに済んだ安堵によるものなのか、人を殺めてしまった後悔によるものなのか、モランにはわからなかった。

「頑張ったね」

 ウィリアムが、フレッドの隣にしゃがみこんだ。
 彼はポケットの中を探って、少しばつの悪そうな顔をした。いつものジャケットでなかったから、ハンカチを持つのを忘れたのだろう。首に巻いていた空色のストールを、泣きじゃくるフレッドを覆い隠すように被せてやった。
 階段を昇ってくる足音が聞こえて、モランは反射的に先ほどフレッドから取り上げた銃を構え直した。まだ敵が残っていたか、先ほど逃がした一人が戻ってきたか。
 子供たちを机の裏に隠れさせて迎え撃つ態勢をとろうとしたが、ウィリアムは片手をあげてモランを制す。
 上がってきたのは、長身の制服警官だった。帽子を被っているにも関わらず左右にぴっちりと撫でつけられた髪が、見る者に神経質そうな印象を与えている。

「パターソンか」

 モランは肩の力を抜いて、構えを解いた。
 彼は、素早く室内の状況を観察した。床に転がる死体を見つけても驚いた様子は見せなかったが、傷だらけの子供たちを認めるとわずかに細い眉を顰めた。

「あの、ウィリアム様……これは、一体?」
「来てくれてありがとう、パターソン。お仕事中に悪いんだけど、ちょっと手伝ってくれるかな、」

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