No.13

chapter 4:フレッドを探して

 昼食の後はルイスがフレッドのそばに付いていたが、アルバートが帰ってきたのに気付いて部屋を出たらしい。てっきり眠っていると思っていたそうだし、見張り番をしていたわけでもないのだからルイスに非は無い。
 彼はそのままアルバートとともに居間に入ったから、フレッドから目を離していた時間は三十分も無い。
 四人はすぐさま手分けして屋敷内を捜索した。
 ウィリアムは二階を、アルバートは一階を、ルイスは庭を。モランはまた三階に上がっているのではないかと考えて、使用人エリアをぐるりと見回ってみたが、彼はどこにも見当たらなかった。
 諦めて一旦ゲストルームに戻ると、三兄弟も空振りだったらしくすでに戻ってきていた。

「どこ行ったんだ、あのガキ……」
「一階には見当たらなかったな」
「僕やアルバート兄さんの部屋に立ち入った形跡もありませんでした」
「正門も裏の通用口も、内側から施錠したままでした。……ただ、庭木の枝が一本折れていました。塀のそばの、トネリコの木です」

 ルイスが、窓の外を指さす。
 庭の隅に、うす紫色のルピナスに囲まれて小さな木が一本植っている。ここからでは判別しづらいが、確かに梢に近いあたりの枝がぽっかりと欠けているように見える。

「風で折れたんじゃないのかい?」
「今日は特別風が強くありませんし、朝食の後に水やりをしに庭へ出た時は何ともありませんでした」
「……フレッドがあの木を足場にして塀を越えた可能性があるってことか」
「あんな細い木を?」

 普通、背の高い庭木を塀のそばに植えることは防犯の観点からよろしくない。けれどあの木はまだ若く、樹高はモランの背丈より高いくらいだが塀よりは少し低いので、庭師もこの屋敷の住民たちも特に気にしてはいなかったのだ。
 おまけに枝も細くて、あの木を伝って庭を出入りするような輩がいるとすれば、それは野良猫くらいなものだろう。
 モランは昨夜フレッドをおぶった時のことを思い出そうとした。あの小柄さと、煙突掃除人として働いていた経験があれば、素早く木を登って塀に飛び移ることも不可能ではないのだろうか。

「これは?」

 ウィリアムが声を上げた。振り返ると、彼はベッドの枕元に立っていた。
 シーツの上に鉛筆が転がっている。先ほどウィリアムが探していたものだろう。さらに枕の下には、一枚の紙切れが隠すように挟まれていた。

「これ、昨夜アルバート兄さんがモランに渡したメモだよね。医者の住所が書いてある」
「あ、兄さん。裏にも何か書いています」

 ウィリアムが紙切れを裏返すと、アルバートの流麗な文字とは対象的な、たどたどしい鉛筆書きの文字が並んでいた。

「あの子が書いたのでしょうか」
「イーストエンドの住所だね……。モラン、何か聞いてる?」
「いや……」

 モランは曖昧に首を振った。
 昨夜医者を呼んで戻ってきて、用が済んだ紙切れをどこにやったかも覚えていなかった。部屋のどこかに何気なく置いたか落としたかしたのを、フレッドが拾っていたのだろう。

「じゃあ、こっちは?」

 彼は次に、ベッド横のサイドテーブルに置かれていた銀貨をつまみ上げた。女王陛下の横顔が、うららかな昼下がりの陽光を反射して鈍い光を放っている。

「それはフレッドのだ。あいつ、いらねぇって言ったのに置いていったのか」
「そう……」

 ウィリアムはちょっと考え込むような仕草をした。

「じゃあ、忘れ物を届けてあげないといけないね。とりあえず、この住所へ行ってみようか。モラン、ついて来てくれる?」
「あぁ」
「兄さん、僕も行きます」
「ルイスはアルバート兄さんと一緒にここで待っていて。もしかしたら戻って来るかもしれないし」
「ルイスは私ともう少し屋敷内を探してみよう。出ていったと見せかけて、まだどこかに隠れている可能性もあるからね」
「わかりました」

 二人を屋敷に残して、モランとウィリアムは屋敷を出た。
 ウィリアムはいつもの仕立ての良い服を着替えて、いつの間に用意していたのか安っぽい労働者階級ふうの服を身に纏っていた。鮮やかな金髪を隠すようにハンチング帽を被り、粗い生地のストールはどこか垢抜けない印象を与える。
 靴に至っては、泥にまみれて程よく履き潰されている徹底ぶりだ。モランと並ぶと、とても主人と使用人には見えないだろう。

 通りに出て馬車を拾い、ウィリアムの「ちょっと寄り道するね」という一言で到着したのは、町外れにある小さな工房だった。
 錆びついた看板が風に揺られて時折ギィギィと音を立てている。店内は真っ暗で営業しているようには到底見えない。モランも何度か訪れたことがある場所だったが、今この時に一体何の用があるのか、モランには見当もつかなかった。
 ウィリアムは躊躇なく扉を押し開けて中に入っていく。モランも黙って後に続いた。
 カウンターに据え付けられたベルを鳴らすより少し早く、工房の奥からヌッと背の高い男が現れた。

「これはこれは、ウィリアム様!!」
「やぁ、ヘルダー。よく僕が来たってわかったね」
「一度ここへ来られた方であれば、ドアを開いた音で誰だかわかりますとも。モランさんがご一緒ということは、義手のメンテナンスのご用命でしょうか? それとも……」

 彼は機械油に塗れた両手をもみ合わせながら、ウィリアムの顔を覗き込むようにひょろ長い身体を折り曲げた。ウィリアムの来訪が嬉しくて仕方がない、といった様子だ。
 モランはまだ一言も発していないし物音を立てたつもりもないのだが、このドイツ人技師は本当に目が見えていないのだろうか。
 彼が開発した機械式義手には大いに助けられてはいたものの、モランはこの男のテンションに未だ慣れなかった。人のことを言えた立場ではないが、ウィリアムはこうも一風変わった人間ばかりをどこで見つけてくるのだろう。

「今日は別件でね。これを見てほしいんだけど」

 ウィリアムがポケットから取り出したのは、フレッドが置いていった、あの銀貨だった。それを手のひらの上に載せられるなり、ヘルダーは「おやっ」と素っ頓狂な声を上げた。

「これはよくできた贋金ですねぇ」
「……は?」
「やっぱり、そう?」
「ええ、ええ、明白ですよこれは。まず手触りが銀ではありません。錫と……ニッケルか何かで作った合金でしょうか。本物の銀貨よりわずかに軽い。加工も甘いですね。多くの人の手を渡るうちに擦り切れたのではなく鋳型そのものの問題だ。……はぁ、しかしこれはなかなか。贋金としては会心の出来と言っていいでしょう」

 彼は「へえぇ」とか「はあぁ」とか呟きながら、指先で銀貨の表面をなでたり、弾いたりしていた。
 モランもカウンター越しに身を乗り出して彼の手元を覗き込んだが、表面の意匠すら判然とせず舌打ちした。盲人のアトリエゆえに、室内の光源は薄汚れた窓から差し込む光と炉にくべられた火しかなかったからだ。

「ウィリアム様、これをどちらで?」
「うん。ちょっとね」

 ウィリアムは曖昧に濁した。
 そうだ。これはフレッドが持っていたものだった。浮浪児が持っているにしては額面が大きい硬貨だったので妙に引っかかったのを覚えている。彼がたまたま偽物を摑まされただけとは考えにくかった。

「ヘルダー、こういうものを作れそうな場所や人間に心当たりは?」
「いいえ、とんでもない! むしろ、知っていたら教えていただきたいくらいです」
「そう……。じゃあ、次に来る時、そうするよ」

 鳥打帽のつばをちょっと持ち上げて、ウィリアムは紅い瞳を細めた。

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