No.12

chapter 3:ウィリアムの推理

 居間に入ると、ウィリアムが一人で部屋の中をうろうろと歩き回っていた。

「ああ、モラン。あの子は?」
「飯食って寝たよ。お前はさっきから何やってるんだ?」
「うん……鉛筆がどこかに行っちゃって」
「どこにでも置くからだろ」
「モランには言われたくないなぁ」
「前にルイスがぼやいてたぞ」
「うそ」

 ウィリアムは何か思いつく事があるとアイデアやら数式やらを紙に走り書きし始める癖があった。そういう時の彼は思索に沈み込むあまり周りが見えなくなっていて、ついさっきまで手に持っていたはずのペンまでどこかにやってしまうことがままあるそうだ。

「確かここに予備が……ほら」
「わぁ、ありがとうモラン。君もうちの使用人らしくなってきたね」
「やめろって、ガラでもねぇ」

 棚の引き出しからルイスが用意していた鉛筆を出すと、ウィリアムは子供のように顔を綻ばせた。
 彼は今日の新聞に目を通しながら、手帳にさらさらと何か書きつけていた。別にメモを取っているわけではない。新聞を読みながら別の考え事(例えば、小難しい数式をこね回したり)をしているのだから、まったく常人には理解し難い。

「アルバートは?」
「さっき出かけたよ。僕がちょっと調べ物をお願いして」
「調べ物? フレッド絡みか?」
「フレッドって、あの子のこと?」
「あ、悪い。さっきそう聞いたんだ」
「そう。それで……他には何か話してくれた?」
「いや……それ以外のことは話したがらないふうだったな」

 モランは昨夜の経緯と、先ほどの会話をウィリアムに話した。

「なるほど。助けてくれたモランにも話せないようなことがあるみたいだ、と」
「あぁ。ただチンピラに絡まれてたってわけでもなさそうなんだ」
「単に連れ戻されることを恐れてる可能性もある……かな」
「連れ戻される? どういう事だ?」

 聞くと、ウィリアムは話そうかどうしようか、考え込むように鉛筆を頬にあてた。

「うん……これはまだ僕の推測なんだけど」
「聞かせてくれ。俺には推測も何もあったもんじゃない」
「うん。あの子は五年前ほどまでアッシュフィールド地区の孤児院に身を寄せていたけれど、事情があって煙突掃除の仕事をすることになった。そして数ヶ月前にその仕事をクビになったか逃げ出したかした……と思うんだ。もし彼がその煙突掃除屋のもとから逃げ出していた場合、僕らに素性を明かしたがらないのも納得できるな、って」
「……はぁ? えーっと、順を追って説明してくれ。お前はあいつと……フレッドとまだほとんど話してないよな?」
「そうだね。昨夜も熱でぼぅっとしてたみたいだし、今朝はずっとモランと一緒だったでしょ?」
「じゃあ、何でそう推測できる?」
「ええと……そうだね、まずひとつ目。これはほんとうに偶然だったんだけど……」

 ウィリアムは汚れたジャケットを差し出した。あの子供が身に着けていたものだ。昨夜と違っているのは、破れた箇所に丁寧にツギをあてられていることだ。おそらくルイスだろう。
 その仕事の速さには感動すら覚えるが、しかしその程度の処置ではもうどうしようもないほど、衣類としての耐用年数を大きくオーバーしている。いわば襤褸だ。

「内ポケットのところを見てごらん。ネームが刺繍してある」

 ウィリアムはにこにこと笑いながら、そう促した。
 あの子供がネーム入りのジャケットを仕立てられるような経済状況にあるとは到底思えない。つまりこのジャケットは古着で、そこには前の持ち主の名前が縫い付けられているのだろう。
 そこから一体何が分かるというのだろう。モランは明るい窓辺に寄って、すっかり褪色してしまったその刺繍に目を凝らした。
 William J Moriarty
 そこに刺繍されていたのは、他でもないウィリアムの名前だった。

「これは……」
「びっくりしたでしょ。ルイスが見つけてくれたんだ」
「お前のお下がりかよ」
「そう。サイズと仕立てからして、まだロックウェル伯爵のお屋敷でお世話になっていた頃のもので間違いない。慈善団体を通じて、アッシュフィールド地区内の孤児院に古着を寄付した事があったんだ。それが今から五年前の話。フレッドの手に渡る前に何人か経由した可能性はもちろんあるけど、ともかくあの子は地区内の孤児院に在籍していたことがわかる」
「つっても、孤児院なんて地区内にいくつかあるんじゃねぇか?」
「ここ数年で閉鎖されたのは一か所だけだよ」
「閉鎖?」
「あの子は煙突掃除人だ。不運にも孤児院が閉鎖になって、煙突掃除屋へ徒弟に出されることになったんだろう」
「なんでそう言い切れる?」
「あの子の肘と膝を見ればわかるよ。煙突掃除のように、幼い子供が狭い場所で無理な姿勢のまま長時間作業をしていると、骨がちょっと特徴的に歪んでしまうんだ」
「そういう話は聞いたことがあるが……。じゃあクビになったか逃げたか、ってのは?」
「普通、煙突掃除をしている子供は頭を丸刈りにされる。作業の邪魔になるし、煤がこびりついて不衛生だからね。でもあの子の髪は目にかかるほど伸びていたし、煤が絡んでもいなかった。ここ数ヶ月、煙突掃除の仕事から離れている証拠だ」
「なるほど、な……」

 頭の切れる奴だということはとっくにわかっていたつもりだったが、モランは唸るしかなかった。
 フレッド本人に事実を確かめたいと思ったが、彼は結局昼食の時間まで眠ったままだった。食べている最中も頭がはっきりしないようで、スプーンを握ったままうつらうつらとしている。相当疲れが溜まっていたのだろう。
 モランは追及を諦めて、再び彼をベッドに戻した。

※※※※※

 昼過ぎになって、アルバートが帰ってきた。
 居間に入ってきた彼の後ろには、兄を出迎えていたらしいルイスがハットとコートを抱えて付いている。

「やぁ、ウィル。ただいま」
「お帰りなさい、アルバート兄さん。面倒なお願いをしてすみません」
「いいや。どのみち今日は孤児院に顔を出す予定だったしね。何人か知り合いのシスターを当たってみたが、お前の言った通りだったよ」

 アルバートは彼専用の一人がけソファに腰を下ろした。

「それとなく尋ねてみたら、その経営難で閉鎖になった孤児院に勤めていらしたシスターを紹介してもらえたよ。あの子の名前はフレッド・ポーロックで間違い無いだろう。三年前、施設の閉鎖に際して煙突掃除屋の徒弟に出された少年が三人。そのうち黒髪は一人だけだったそうだ」

 アルバートの報告を受けて、ウィリアムは頷いた。

「モランが聞き出してくれた名前とも一致しますね。その後のことは?」
「やはりお前の推測通り、四ヶ月ほど前にその煙突掃除屋の元から行方をくらませているそうだ」
「さすが兄さんです!」
「しかし、その経緯というのが惨いものだった」

 アルバートは顔を曇らせて続けた。

「徒弟に出された三人のうちの一人、エディ・ライランズという少年が亡くなっている。煙突掃除の作業中に、誤って暖炉に火を入れられてしまって焼死したそうだ。いや、この場合は窒息死なのかな……。ともかく、フレッドたちが姿を消したのはその直後だったらしい」
「それはまた……」
「その煙突掃除屋はどうなった?」
「注意義務違反ということで、罰金刑だそうです。今も仕事は続けているらしいですよ」

 よくある話だった。
 子供を守れ、労働者に人権を、と声高に叫ばれ法整備が徐々に進められてはいたが、いまだに罰則は驚くほど軽く過重労働が横行している。
 煙突掃除などはその代表格と言っていいだろう。小柄な子供が重宝される割に、仕事内容は常に命の危険と隣り合わせだ。焼死、転落死といった物理的なリスク以外にも、煤を大量に吸い込んで気管や肺をやられる子供も多いと聞く。
 モランはあの子供がずいぶんと痩せこけていたことを思い出した。煙突掃除をする子供は極端に食事を制限されるというのは事実らしい。身体が大きくなって煙突に入れなくなると困るからだ。
 友人が悲惨な死を遂げて、雇い主が大した咎めも受けずのうのうと過ごしているのであれば、逃げだしたくなるのも無理はないだろう。

「ということは、フレッドは今はそのもう一人の少年と行動を共にしているということでしょうか?」
「ああ、おそらくそうだろう。メイナード・ハマートンという少年だ」
「あの様子を見るに、路上で生活をしているのは明らかです。そのメイナードと共にどこか孤児院に入れるよう手配してあげましょう」
「そうだね。私もそれが良いと思う」
「ルイス、あの子を呼んできてくれるかい? まだ寝ているなら無理に起こさなくてもいいから」
「はい、兄さん」

 ルイスが居間を出て行った後も、モランはじっと考え込んでいた。
 アルバートが裏を取ったことにより、ウィリアムの推理が正しかったことは証明された。しかし、まだ疑問は残っている。
 あの男たちは、結局何者だ?
 彼らは風体からして煙突掃除人とは思えなかったし、煙突掃除屋から頼まれてフレッドたちを探しているようにも見えなかった。何より、いくらでも替えのきく孤児を数ヶ月に渡って追い回すというのはどうもしっくりこない。
 あの男たちは何か別の目的をもってフレッドを追っていたのだ。では、その目的とは何か?

「そう難しく考えなくても、僕らが彼の味方だっていうことを示してあげれば、本当のことを話してくれるんじゃないかな」

 モランの考えを読んだように、ウィリアムが言った。いくら彼が聡明だと分かってはいても十代の子供に見透かされるのは少々決まりが悪く、モランは顔を顰めた。

「……だといいがな」
「確かに、警戒心が強そうな子だから切り出し方は慎重に行かないとね。私は少し怖がられているようだったし、ここは大佐から話してもらおうか」
「何で俺が」
「おや、今朝は懐かれているように見えましたよ。違うのですか?」
「どこがだよ……」

 長男は長男で、こちらをからかっているのか本気で言っているのか分からない。しかし確実に「子供に懐かれるモラン」を面白がっている空気を醸し出している。ムキになって言い返すとさらに遊ばれるのが目に見えているので、モランはそれ以上は何も言わなかった。
 そこへ、ルイスが居間に駆け込んできた。
 普段の彼らしからぬ、どこか慌てた様子だった。彼は室内をさっと見回すと、当惑したように眉を下げた。

「兄さん、またあの子がいません!」

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