No.54

宙の涯て ③
 軍に入る前に出会っていたマックスとカートの話。anan発売前に書きました。

 崖の淵ギリギリに立たされている。
 マックスの人生には、常にその感覚がつきまとっていた。
 下に落ちないようにいくら気を張っていても、転落の瞬間は不意にかつ一方的に襲ってくる。両親が死んだ時もそうだった。焼け焦げた両親の死体は溶けたEVAスーツと一体化してしまっていたらしく、駆けつけた軍警察の手によって速やかに処理された。手続きだけが淡々と進められ、マックスは家族で暮らしていた居住セルを追い出されて叔母の居住セルに送られる事になった。
 叔母は塞ぎ込んだマックスを扱いかねたし、マックスも叔母とどう接すればいいか分からなかった。ただ一人になりたかったが、ステーションの狭苦しい居住エリアではそれも叶わなかった。
 だから必死に勉強した。ここではない何処かへ行くチケットを手に入れるために。今の自分は抑えつけられたバネのようなもので、きっかけ一つさえあれば宇宙の彼方までも飛んでいけると、本気で信じていた。
 結果としては、またしても不慮の事故に巻き込まれ、宇宙の彼方どころか崖のもう一段下へと突き落とされてしまったわけだが。

 カキン、と甲高い音がして、打ち上げられたボールが宙へ吸い込まれていく。
 サイボーグ仲間たちから歓声が上がった。打席に立っていたカート・クレイマーはバットを足元に投げ捨て、悠々とした足取りで走り出す。マックスはグラウンドの隅で胡座をかいて、それをぼんやりと眺めていた。
 彼のように重装甲のボディを得たサイボーグたちは、身体の重さに慣れるまでそれなりの時間を要すると聞く。その重さに見合うだけの膂力ももちろん手に入れているわけだが、本来であれば、それらは成長や鍛錬によって徐々に身につけていくものだ。それをサイボーグ化手術によって一足飛びに手に入れるのだから、最初は誰もが自分の身体を扱いかねる。幼稚園児がある日突然トップアスリートの身体を手に入れたからといって、すぐに世界記録を叩き出せるものではないのと同じだ。
 だが、重力の強い土地で生まれ育ったカートからすると、機械化した身体の重さはあまり問題にならないようだった。この医療施設がある惑星は地球とほぼ変わらない1G環境だったので、彼にとってはプラスマイナスゼロなのだろう。
 ダイヤモンドを一周したカートは、ベンチには戻らずマックスのいる木陰へと歩いてきた。
「見た? スリーラン」
「見た見た。すごいすごい」
「思ってねぇだろ」
 無いはずの口を尖らせながら、彼はマックスの隣にドカリと腰を下ろした。
「お前も打ってこいよ」
「やーだ。俺はか弱いの」
 実際、グランドでスポーツに興じているのは陸空向けの厳ついサイボーグばかりで、マックスのような宇宙軍仕様の者たちは隅の方でギャラリーに徹している。そもそもの用途と出力が違うのだから、下手に参加して破損でもしたら目も当てられない。定期的に行われる機能検査は問題なくクリアしているし、余暇の時間にまで身体を動かす必要は感じられなかった。
「カートこそ、戻んなくていいの? ほら攻守交代してるよ」
「いいよ、代打だったし」
 両足を投げ出した寛いだ姿勢で座り、カートが宙を仰いだ。つられて、マックスも顔を上げる。地球の空は青いと聞くが、彼の生まれた星はどうだったのだろう。
 バルナディア合星連邦軍では、幹部候補生ならまだしも、無償のサイボーグ化手術を目当てに志願してきた者たちを生身のまま訓練したりしない。単純に効率が悪いからだ。明らかに人格に問題のある者だけを適性検査でざっと弾き、後は十把一絡げに手術台に載せ、サイボーグ化させてしまう。
 統一規格のボディを与えてしまえば、軍事教練のカリキュラムを大幅に短縮した上で、一定水準の能力を持った兵士を一挙に育成することができる。銀河に勇名を轟かせるバルナディア合星連邦軍サイボーグ部隊の完成だ。
 カートは新しい身体を思うさまに動かせるのが楽しくて仕方ないようだったが、マックスは正直あまりうれしくなかった。
 機械化されたこの身体が馴染んできたということは、裏を返せばモラトリアムの終わりが近づいてきたということだ。マックスは宇宙軍の、カートは陸軍の軍事教練へ、それぞれ進むことになる。





 入院生活も終盤に差し掛かると、それぞれの部隊への配属に向けたプログラムをこなす事に時間を取られるようになった。サイボーグ化手術を無償で受けさせてもらった立場にある以上、軍事教練に放り込まれてから「できません」では話にならない。新しい身体の使い方をみっちりと教え込まれた。
 内容自体はまだそこまでハードなものではないものの、生まれた瞬間から当たり前に存在していた生身の身体感覚を書き換えるのは、それなりの時間と苦労を要した。
 マックスとカートには当然別々のプログラムが割り当てられていた。病室のベッドは相変わらず隣同士だったけれど、日中はほとんど顔を合わせる時間が無くなっていた。
 その日、マックスは宇宙軍向けのプログラムをこなし、さっさと夕食を吸引して自分の定位置に戻った。サイボーグになって良かったことの一つとして、食事を一瞬で済ませられることがあげられる。人によっては短所になるらしいが、マックスは食事に時間を取られるのが元々あまり好きではなかった。
 夕食を終えてから消灯時間までの間は、自由時間になっている。まもなくカートも戻ってきた。
「おつかれ~」
「おー」
 挨拶もそこそこに、二人はマックスのベッドに並んで座った。
「じゃ、カートからどうぞ」
「ん」
 マックスはカートに携帯ゲーム機を手渡した。入院生活の合間を縫って少しずつプレイを続けていった結果、少年の冒険は最終局面を迎えていた。
 少年は海を越え、ギャングの妨害を掻い潜りながら、家族旅行のルートをなぞるように遡っていった。だが、我が家のある町はもう目の前というところで、逃げ続ける少年に業を煮やしたギャングのボスが直接乗り出してきた。つまりはラスボス戦である。
「装備更新した?」
「した」
「一回セーブしとこ」
「うん」
 短いイベントシーンの後、戦闘が始まった。
 主人公である少年に比べて、ギャングのボスのグラフィックはやたらと誇張されて巨大だ。ラスボスだけあって見た目に違わず手強い相手で、相手の体力ゲージを三分の一ほど削ったところでカートの操る少年が倒された。ゲームオーバーだ。
 続いて操作を交代したマックスも、半分ほどまで粘ったものの、倒されてしまう。
 それぞれ一回ずつゲームオーバーになって、再びカートへゲーム機が渡された。
「それ撃ってくるよ! 三連続!」
「ん、もう覚えた」
「ナイス回避~! あっいま飛び道具ダメだかんね、弾かれるよ!」
「マックス重い」
 肩にほとんど顎を乗せるような姿勢でゲーム画面をのぞき込むマックスに、カートが苦言を呈した。だがこの程度で彼の体幹がぶれることもないだろう。マックスは応援(という名の口出し)を止める気はなかった。同室のサイボーグたちが「またやってる」という目でこちらを見ている気配を感じたが、無視だ無視。
 戦いはますます白熱し、カートはボスのHPを八割がた削っていた。
「ね、いっかい回復入れといた方が良いんじゃない?」
「いやこのまま押す」
「は!? 無理だってもうこっちも体力ないよ!」
「いけるいけるいける」
「ダメだって! 死んじゃうって……あっ」
「お」
 どかーん、と爆発のようなSEと共に、明滅しながら消えていったのはボスの方だった。
「えっこれ倒した? 勝った感じ?」
「勝った勝った勝った」
「すごーい!」
 手を叩いてはしゃぐマックスに頷き返しながらも、カートの視線はゲーム画面に注がれていた。
 勝利の余韻に浸ることもなく、少年は走り出した。画面の右方向、懐かしい我が家のある方へ。
 駆けていく彼の姿と共にいくつかの景色が流れていき、やがてとある一軒家の前で止まった。このゲームのスタート画面に登場するのと同じ家だ。少年は震える手で――画面を構成する粗いドット絵では、実際どうだったのか分からないけれど――玄関の呼び鈴を鳴らす。
 ドアを開けたのは、少年の母親だった。悪人に攫われた我が子が、数年越しに帰ってきたのだ。感動の再会シーンが始まる……かと、思いきや。
 少年の母親は、目の前に立っているのが自分の子どもだと気づかなかった。長い長い旅の間に、少年の背は伸び、肌は日に焼け、見違えるほどたくましく成長していたから。
 何も言えず、少年は立ち尽くす。母親は相手が自分の子であることにまだ気がつかない様子だが、その表情から何かを感じ取ったようだった。
『お腹が空いているんでしょう。ちょっと上がって、休んでらっしゃい』
 そう言って、見知らぬ少年を家に招いた。
 二人の姿が家の中に消えていき、ドアがぱたりと閉められた。カメラがゆっくりと遠ざかっていくとともに明るい、けれどどこかもの寂しい音楽が流れ出す。エンドロールだった。
「終わった」と、カートが呟いた。
「終わっちゃったね」マックスも頷き返す。
「せつないねー」
「うん」
「でもよかった」
「うん」
「最後さ、家に入れてくれたんだから、このあと絶対気づいてくれるよね。おかーさん」
「うん。気づく」
 エンドロールが最後まで流れると、ゲームはスタート画面に戻った。
「面白かった。ありがと」
 カートがゲーム機の電源を落として、こちらに向けて差し出した。マックスはそれを受け取ろうとしたが、途中で手を引っ込める。
「や、それ、カートにあげる」
「は?」
「だから、そのゲーム、カートにあげる。俺はもっといいやつ買うつもりだから、それはカートが持ってて」
 なんで突然こんなことを言い出しているのか、自分でもよく分からなかった。ただ彼に何かを残したかった。このゲームを二人でクリアしたという証拠を、彼に持っていてほしかった。
 だがこの唐突な申し出に、カートが戸惑っていたのはほんの数秒間だけだった。彼は断固とした態度で、マックスの胸元にゲーム機を押し付ける。
「いやダメだろ」
「え、」
「大事なもんだろ。自分で、ちゃんと持っとけよ」
 カートの手がゲーム機を裏返す。その時になってようやく、マックスはカセットの挿入口の下に、キャラものの安っぽいシールが貼られているのを思い出した。子供の頃、マックスが熱心に見ていたアニメのキャラクターだった。
 ある時シールを買ってもらえたのが嬉しくて、当時暮らしていた居住セルの壁にペタペタと貼って、母にひどく怒られた。父が「しょうがない奴め」と笑いながら、薬剤を使ってきれいに剥がしてくれたから、なんとか母の怒りは収まった。最後に一枚だけ残っていたシールをどこに貼ろうか悩みに悩んで、自分の持ちものなら怒られないだろう、とこのゲーム機の裏側に貼りつけた。
 忘れかけていた一連の出来事がぶわりと蘇ってきて、マックスはゲーム機を受け取ったまましばらく動けなかった。
「……ありがと」
「ん」
 何とかそれだけ呟くと、カートは自分のベッドに戻っていった。
 すぐに消灯時間がやってきて、照明が落とされる。
 暗闇の中で虚空を見つめながら、マックスはここに来てから初めて「家に帰りたい」と思った。もう帰れないことは分かっていても、家族で暮らしていたあの頃がたまらなく懐かしかった。叔母の顔も見たかった。自分が今までの人生の中でどれだけのものを取りこぼしてきたか、改めて突きつけられた気分だった。





 その日は朝から雨が降っていた。
 耳慣れないノイズが一日中頭の周りにまとわりついていて、消灯時間を過ぎてもマックスは眠れなかった。硬いベットの上で寝返りをうって、暗闇の中、隣のベットへ目を凝らす。カートは身体を丸めて眠っているようだった。彼は基本的に、一度寝たら朝まで起きない。夜中に目を覚ましたのは、マックスが知る限りあの一回だけだった。
 音を立てないように注意しながら、マックスはベットから身を起こした。

 少し前までは、不調を訴える者が出たらすぐに対応できるよう、深夜であっても医療スタッフが病室を巡回していた。けれどマックス達のサイボーグ化から四か月が経過した頃には、それもなくなっていた。深夜の廊下に人の気配はなく、マックスの独り歩きを止める者はいなかった。
 窓の外は暗く、ひっきりなしに水滴が降り注いでいる。空には雲が立ち込めていて、いちばん近くの星系すら見えない。
 部屋を抜け出してきたものの、特に行きたい場所はなかった。廊下をぶらぶら歩いていると階段に行き当たったので、何も考えずに降りた。
 一階に降りると、廊下の途中の窓が開けっぱなしになっていた。スタッフの誰かが閉め忘れたのだろうか。窓の先は申し訳程度の中庭にしか繋がってはいないとはいえ、軍用の施設にしては気の抜けたことだ。
 晴れていれば中庭を歩いてみてもよかったけれど、こうも雨が降りしきっていては鬱陶しい。マックスは窓のふちに腰を下ろした。
 足を延ばすと、つま先が雨に濡れる。かかとが湿った土に沈む感触もあった。
 地面には、雨水のたまった箇所がいくつかある。毎秒ごとに落ちる雨粒がその水面に波紋を広げ、不規則な模様が浮かんでは消えていた。
 マックスが生まれた場所は宇宙空間に建造されたつくりものの土地で、当然、気候の変化は起こらない。この医療施設に移されて初めて、ほんものの雨を知った。
 朝からずっとこの調子で降っているけど、これ、大丈夫なものなんだろうか。そんなことをぼんやりと考えながら膝を抱えて中庭を眺めていると、後ろから近づいてくる足音があった。その足音が誰のものか、振り返らずとも分かっていた。
「マックス」
 背後から名前を呼ばれた。暗い廊下にカートが立っている。
「何やってんの」
「うん」
「うん、じゃねーよ」
  そう言いつつ、彼は「ちょっと詰めろ」とマックスの隣に腰を下ろした。
「ずっとこんな感じで降ってたらさ、水が溜まって、沈んだりしないかな」
「しねぇよ」
「なんで?」
「なんでって……そういう風にできてんの」
「ふーん、よくできてんね」
 そこで一旦会話は途切れた。沈黙を破ったのは、やはりマックスの方だった。
「ステーションの出身だって言ったじゃん? 俺」
「うん」
「ほんとは軍人なんかじゃなくってさぁ、船に乗りたかったんだよね。定期航路のシャトルでも貨物船でも何でもいいから、とにかく宇宙船のパイロット」
 カートが暗闇の中でちらりとこちらを見た。
「毎日色んなとこ飛び回ってさ、ある時、銀河のすみのちっさい星まで行かなきゃいけなくなって『遠いなーめんどいなー』って思いながら飛んでったら、そこでめっちゃ気のあう奴がいて、それがカートなの」
 言葉を切って間を空けてみたが、カートからの相槌はない。それでも、緑の丸い目はまっすぐにこちらに向けられていて、彼が熱心に話を聞いてくれているのが分かる。
「カートのいる星にも飛んでいけたら、面白かったのにな」
 少し間があって、カートが「俺も」と口元のランプを光らせた。
「俺も、乗りたかった。宇宙船」
「マジで? 一緒じゃん」
「入れ違ってたかもな。マックスが俺のとこ来ても」
「えぇーそれはヤダ」
「だから、ここで会えてよかったよ」
 そう言い切られて、マックスは怯んだ。
 機械化した身体がそんな挙動をするはずがないのに、胸の奥がぎゅうと絞られるような感覚があった。彼のように正直に、誰かのために生きていられたら、どんなに良かったかわからない。
「……俺は、もっとあなたと話してたかったよ」
「そーだな」
 カートは静かに、ただ肯定するだけだった。
 雨が降っている。足の先を濡らしながら、夜勤の職員に見咎められるまで、二人は並んで窓の外を眺めていた。





 翌朝には雨も上がって、病棟全体が慌ただしい空気に包まれていた。
 敷地内に平べったい人員輸送用の大型トラックが何台もなだれ込んできている。窓ガラスの震えからして、裏の発着場にはシャトルも降りてきているのだろう。廊下を行きかう職員たちの足取りも、いつもより忙しない。
 そんな中、カートは片付いたベットの上で胡坐をかいて、窓の外を眺めていた。
「集合、何時だっけ?」
 間違いなくこちらに向けられた問いだった。マックスは、私物を段ボールに詰めていた手を止めて答える。
「十一時」
「おー、さんきゅ」
「言っとくけど、陸と宙で集合場所違うからね?」
「あ、そーなん? 俺どこ行けばいいの」
「……あなたねぇ、そんなんで明日からやっていけんの?」
 マックスが呆れたように声を上げると、カートは悪びれる様子もなく肩を竦めた。彼があまりにいつもと変わらないから、ひょっとすると、明日からも一緒にいられるのではないかと錯覚してしまいそうになる。
 今日、マックスやカートをはじめとするサイボーグ新兵たちはこの医療施設を出る。それぞれの配属に応じた駐屯地に送られて、本格的な訓練期間に入ることになる。当然、マックスとカートの配属先は別だった。
「マックスが覚えてるだろうなって」
「もー……」
「明日からは、ちゃんと自分で覚える」
 朝食の後、さっさと荷造りを終えたカートは、何の感慨もなさそうな顔で、忙しそうに走り回る職員たちを眺めている。その横顔も今日で見納めかと思うと、どうしようもなく胸が疼いた。
 荷造りをしていたマックスは、段ボールの蓋を閉めようとして、手を止めた。箱の底からあるものを取り出して、意を決して、カートに声を掛ける。
「カート」
「何?」
「これ見て」
 差し出されたものに目をやって、カートが目を丸くした。もうそんなこと絶対にありえないはずなのに、マックスは頬に血が昇るような感覚を覚える。
 両親がまだ生きていた頃、家族で撮った写真だった。地球年齢で当時六歳ほどのマックスが、両親に抱きかかえられて笑っている。何のタイミングで撮ったものかもう覚えていないが、両親の顔を思い出す唯一の縁だった。叔母がわざわざ写真立てに入れて、私物と一緒に送ってきてくれていたのだ。
「前に、写真ないって言ったの嘘。だいぶ昔のやつだったから恥ずかしくて……でも俺だけ見せないままってのもフェアじゃないかなーって、」
「え、お前子持ちだったん?」
「はぁ?」
 一瞬何を言われているのか分からなかったが、すぐさまカートがどんな勘違いをしているのか理解した。
「ち、ちーがーう! それ親父! 俺はこっち、この愛くるしい少年!!」
「え。あっ、そっち?」
「そうだよ! 俺が子持ちなわけないじゃん!」
「いや今のはお前の出し方が紛らわしいわ。元の顔分かんねぇんだから全然ありえるだろ」
「だからって……」
 そこで堪えきれなくなって、二人同時にふっと噴き出した。肩を震わせてひとしきり笑った後、カートが「はービビった」とため息をついた。
「ビビったって、それはこっちの台詞」
「だってお前こんな……いや親父さんカッコいいな」
「やめてよマジの感想」
「確かに、この小生意気そうな顔の方がマックスにしっくりくる」
「……」
 いたたまれなくなって、カートの手から写真立てを取り上げた。
「……満足した?」
「うん」
 マックスは写真立てを梱包材代わりのタオルでぐるぐる巻きにした。さっさと片付けてしまおうと段ボールの蓋を開けると、カートは「お」と声を上げてこちらに寄ってきた。
「何何何? もう写真ないよ?」
「いいの持ってんじゃん。それちょっと貸して」
 カートが指さしたのは、ポラロイドカメラだった。マックスの私物の一つだったが、入院生活の中で特に撮りたいものがあるはずもなく、今日までしまいっぱなしになっていた。そもそもこの医療施設内での撮影やら録音は全面禁止だ。没収されなかったのは、単に担当者のチェック漏れだろう。
「貸してって……なに、写真撮るの?」
「カメラ使って他にすることないべ」
「バレたら怒られるじゃすまないよ」
「バレなきゃいいって」
 珍しい。カートは特段まじめでも従順でもないが、積極的にルールを破りたがるタイプでもないのに。
 カートは中途半端にベッドのカーテンを引いた。廊下から見えないように、けれど通りかかった職員に「何故カーテンを閉めているんだろう?」と怪しまれない程度に。そしてマックスの腕を掴んでカーテンの中に引っ張り込んだ。
「妹から手紙の返事来てさ。どんな感じになったのか、写真見せろって」
「それで、今ここで撮るの?」
「これどこ押すの?」
 質問には答えず、カートはカメラをくるくると回転させて眺めている。そのマイペースさに、マックスは肩の力を少し抜く。
「ほら貸して」
 撮るならさっさと撮ってしまおう。とカートの手からカメラを奪い返したマックスは、レンズを彼の方へ向けた。
「は? ちょっと待って待って待って」
「何?」
「マックスも入って」
「は~? 何で俺が、あなたの妹ちゃんに送る写真に入んなきゃいけないの」
「頼むって。『友達出来た』って書いたら、その人もどんなのか見たいって言ってて」
「んんん……」
 マックスのスピーカーからよくわからないうめき声が漏れた。
 カートの妹ちゃんからしたら、身内がサイボーグになったんだから顔くらい見ておきたいと思うのは普通の考えだろう。おまけに、彼女の今後の人生においてはサイボーグ化も選択肢の一つであるわけだし。軍用サイボーグが参考になるかどうかは正直微妙だけど、まぁ、お勉強を頑張るための奮起剤にでもしてくれればいいか。『友達』という響きにほだされた訳ではない。決して。
「……わかったよ。ホラ、その辺立って。……えーと、これタイマーどうやるんだっけ」
「これ?」
「あっ、ちょっと勝手に押さないでよ!」
「ジーっていってる」
「タイマー始まってんじゃん! はい、チーズチーズ!」
 言い終わるより早く、シャッターが自動で切られた。ジジジと音を立てながら、カメラから四角い写真紙が吐き出される。数十秒後に浮かび上がってきた画像を見て、二人はまた笑い転げた。
「カートくん半目じゃん、盛れてなさすぎ!」
「るっせ、お前だって大概だろ。顔反射しまくってんじゃん」
「いやほんとそれ。えー、フラッシュ焚くと俺こんななんの? 地味にきっつ」
「ちょ、もう一枚」
「だね。妹ちゃんに『わーお兄ちゃんの友達、イケメン!』って思わせなきゃ」
「マジでやめろ」
 大急ぎでフィルムを巻いて二枚目を撮り直そうとした矢先。
「マカリスター、クレイマー。先行ってるぞ」
 カーテンの外から声がかかった。同室のサイボーグの誰かだった。
 カートとマックスは顔を見合わせる。いつの間にか、病室に残っているのは二人しかいなかった。
「やっばもうこんな時間!」
「まだ大丈夫だろ」
「いやいや俺は裏のシャトル発着場まで行かなきゃいけないの! もう出ないと間に合わないって」
「俺は?」
「陸は正門前!」
「おっけ。分かりやすくていいな」
 二人は素早く荷物をまとめて病室を飛び出した。
 彼の代わりに連絡事項を覚えておいて教えてくれるような同僚が、陸軍にはいませんように。マックスは密かにそう願った。カートには悪いが、自分の代わりになるような相手を見つけないでいてほしい。少なくとも、マックスにはカートの代わりは見つけられそうにないから。
 階段を駆け下りて、医療施設の玄関先まで来たところで、二人はどちらともなく足を止めた。前方に見える門の前には、陸軍に配属されるサイボーグたちが集まりつつある。マックスはそこには一緒に行けない。シャトルに乗って、この星そのものから離れなければならなかった。
 マックスは発着場の方へと足を向ける。
「俺、こっちだから。じゃあね」
「そっか。あー、じゃ、元気で」
「うん、カートも。……死なないでね」
 言うつもりはなかったのに、言ってしまった。こんなことを言っても困らせるだけなのに。
 本格的な戦争が始まった時、最前線に立つことになる陸軍の死亡率は際立って高い。宇宙軍には危険が全くないのかと言われれば当然そんなこともないのだが、莫大な資金を投じた艦隊が撃墜されるのは国家にとっても痛手であり、結果としてクルーの命もある程度は守られることになる。
 だが陸軍は違う。危険の中に身一つで飛び込んでいかねばならない場面が必ず巡ってくる。そうなったとき、カートは。
「死なない。俺はぜってー死なない」
 はっきりとした口調で、彼はそう言い切った。
「……約束できるの?」
「もうした」
 カートは目を細めて、先ほど二人で撮った写真をひらひらと顔の前で振った。
 誰に、なんて聞くまでもない。彼の愛する家族に、だ。
 マックスは思わず、笑ってしまった。
「ふは。……やっば。かっこよ」
「だろ。使っていいよ」
「やった。じゃあ俺もここでカートに約束しとくね」
「ん、そうして」
「またゲームやろ」
「うん。また」
 その言葉を合図に、マックスは踵を返して、ロケット発着場へ向けて歩き出した。集合時間にまだ余裕のあるカートが、その場に立ち止まって見送ってくれているのが分かった。
 後ろには進めない。ここにとどまり続けることもできない。ただ前へ前へ、押し出されていくしかないのだ。崖の下に落ちれば最後、その度に嬉しいことも楽しいことも取り上げられていくのだと思っていた。けれど、落ちた先に彼がいた。もうちょっと生きてみてもいいのかもしれない。
 マックスは発着場に続く坂道を駆け登る。視線を上に向けると、見慣れた銀河を背景に、銀色に輝くロケットがそびえたっていた。自分はこれからあれに乗る。どこまでやれるかは分からない。けれど、そう悪いことばかりも起こらないだろう、と今は信じることができた。


初出:Pixiv 2025.11.24

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